途上国で国際協力活動をするに当り、参加型開発は正しいのか。東京農業大学の国際食料情報学部に在籍中、アフリカのザンビアへ行ってみた。

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1年間のアフリカザンビア生活の経験から得られたもの、参加型開発の理念とは何かがぼやけてしまっているために、意見のズレも生じることがある。

私は1年間ほど大学を休学し、アフリカのザンビアで生活していたことがあります。その経験をもとに、東京農業大学の国際食料情報学部を卒業するときに卒業論文を書きました。こちらの記事ではその卒論を全文掲載してあります。

難しい言葉が多いですが、海外の農業や食料事情、ファームステイに興味があり、これから渡航しようとしている方は参考にして頂けたらと思います。ファームステイをするに、アフリカのザンビアはおすすめだと思います。記事の最後に、参考文献、謝辞も当時のまま載せてあります。

序章 研究の目的と方法

第1節 研究の目的

 「参加型開発実践学習(Participatory Learning and Action:PLA)」(注1)、「参加型農村調査手法(Participatory Rural Appraisal:PRA)」、「参加型開発」、「住民参加による~」、「持続可能な開発のための住民参加型~」・・・。

途上国で国際協力活動をするに当り、「参加型~」とは、最近の開発学及び開発の現場では、誰もが耳にしたことがある、ごくありふれた当たり前の言葉となりつつあるのではなかろうか。

参加型開発と呼ばれるものには、「参加型開発実践学習(Participatory Learning and Action:PLA)」の他、「参加型農村調査手法(Participatory Rural Appraisal:PRA)」、「迅速農村調査(Rapid Rural Appraisal:RRA)」、「プロジェクトサイクルマネジメント(Project Cycle Management:PCM)」等が挙げられる。

この中でも、筆者は参加型開発の理念を尊重するため「参加型開発実践学習(Participatory Learning and Action:PLA)」を支持する立場をとる。

ところで、参加型開発を、否定的に捉えるものも少なくは無いことも事実である。その理由としては、「効率的ではない」、「活動に資金が多く必要である」、といったものが多い。

同じ「参加型開発」であるにもかかわらず、この様な意見の相違は、参加型開発を「理念」として捉えているものと、「手法」として捉えているものとの相違から生じるのではないか。

どちらとも間違いとは言わないが、その考え方の違いにより、議論にすれ違いが起こり、お互いが自分の経験を元にした意見をいっているだけにとどまることが多い。

また、「参加型開発実践学習(PLA)」の理念を支持するものでも、「『理念』を尊重するために参加型開発は正しい」と盲目的に信じているものもおり、その「理念」とは、何かがぼやけてしまっているために、意見のズレも生じることがある。

この様な背景のもと、本研究ではまず始めに、参加型開発である「参加型開発実践学習(PLA)」とは何であるかを明確にする。

 また、筆者は一年間のザンビア共和国での活動を踏まえ、「参加型開発実践学習(PLA)」の理念をもとに再びザンビアを訪れ、NGO(Non Government Organization)の専門調査員として、プロジェクトの計画立案に参加させていただいた。

そして滞在期間内に、プロジェクトを計画・実施するまでに至ったが、「参加型開発実践学習(PLA)」の理念と現場での活動とのギャップにより、様々な困難があった。本研究では、実際に行なったプロジェクトを通じて、参加型プロジェクトを計画するに当り必要となることを考察する。

(注1)「参加型開発実践学習」と提示すると、「学習」という言葉があるため、住民に対する啓発を連想するものも少なくないが、ここで使われている「学習」とは、「開発に携わる外部者が住民から学ぶ」という立場をとる意味での「学習」という言葉が用いられている。

要は、問われるべきは、「外部者と住民の関わり方の姿勢」であるにもかかわらず、「参加型開発」というキーワードだけが先走る過程で、「いかに住民に参加させるか」というスタンスにすり代わってしまったのである。

第2節 研究の方法

 
本研究の研究方法として、第1章では、先行研究を参考にし、本研究における「参加型開発実践学習(PLA)」の定義付けを行なう。その後、第3章で筆者が実際に行なったザンビアでのプロジェクトの計画過程をとりまとめ、第4章にて、そのプロジェクトと「参加型開発実践学習(PLA)」を照らし合わせ、現状の問題点を挙げ、「参加型開発実践学習(PLA)」にてプロジェクトを計画するために必要なことの考察を行なう。

第1章 理念としての「参加型開発実践学習(PLA)」

第1節 「参加型開発実践学習(PLA)」の定義

 
本節では、様々な団体、人々により語られている「参加型開発実践学習(PLA)」を筆者の経験・各種文献を元に、まず始めに定義するが、「参加型開発」を語る上で、ロバート・チェンバースをはずすことはできない。

彼の著作は、開発学の生成、開発プロジェクトの現場等において、聖典ともいうべき位置づけを占めている。その彼の文献である『ロバート・チェンバース:参加型開発と国際協力』をはじめ、『プロジェクトPLA:続・入門社会開発』、『斉藤文彦:参加型開発』等を参考文献としてあげるが、特に「参加型開発」を巡る「理念」と「手法」の意見のズレに言及しているため『佐藤寛:参加型開発の再検討』に依拠するとことが多い。

参加型開発実践学習(Participatory Learning and Action、以下PLAとする)とは「参加型開発の理念を尊重するものであり、開発の影響を直接的に受ける人々が、主体的に計画、実施、評価等に関与するようになること。また、外部者は、あくまでも耳を貸すという姿勢を貫き開発の主体を住民に譲ること。」である。
 

第2節 参加型開発の「理念」と「手法」

1.参加型開発の理念

ここ数年間で「参加型開発」という言葉を頻繁に耳にするようになった。しかしながら「参加型開発」を的確に説明できるものは、はたして何人いるであろうか。開発という現場は個別具体的ではあるが故に、「参加型開発」は一括りにできるものではないし、全く同一なるコンセンサスを得ることもできないであろう。

この様な背景があるため、しばしば「参加型開発」をめぐる議論が、お互いすれ違いのまま終わってしまうことが起こるのである(詳しくは、本章第3節で述べる)。

本章第1節にて提示した定義は、理念としてのPLAを尊重したものである。そこで、本研究の「PLAの定義」の説明に必要不可欠な「参加型開発」に関する解釈の変遷をみることにする。

まず始めに、明確にしておきたいことは、PLAは参加型開発の「理念」を尊重したものであることだ。PRAやPLAといったParticipatoryのつく言葉が参加型開発を表現する専門用語として認知されているが、それらも「参加型開発」の一部としてみなされている。

実際、「参加型開発」という言葉無しでは、助成金の申請を始め、書類が通らないということが、主流化してきている。筆者も開発の現場でそれを十二分に経験した。一方、「参加型開発」という言葉が先行した結果、十分に内容の吟味もされないうちに、急速にかつ広範囲に流行してしまっているため、批判も強まりつつあるのが現状でもある。

特に、参加型開発が、様々な調査手法や実践手法の組み合わせによって、実現されるかのような錯覚があり、参加型の「手法」や参加型の「ツール」が強調されるあまり、本来「参加型開発」という「理念」が含意している「自発性」「自立性」が置き去りにされているのではないかという批判は根強い。

さて本来、参加型開発の理念とは何かを定義せねばならないが、多くの論者が自分の思想的、経験的な背景をふまえ、それを定義しているため、統一的な定義を見いだすことは困難である。しかしここでは、上述のような数ある先行文献の中から、筆者の経験と近似しているものを基に「理念」とはどういうことかを示したい。

まず一つ目に、私たちの「思考様式」の変化である。技術移転方式の開発に多く見られた「私たちは何でも知っているから教えてあげる」や「何も無いからあげる」といったような思考様式を変えなければならない。参加型開発の「理念」では、「住民と共に学ぶ」といった、外部者が「一歩下がった」思考様式への変化が重要である。

二つ目に、上記の思考様式の変化を受ければ分かるように、私たちが「態度と行動」で示すことである。開発の主役は住民で、私たちドナー側はあくまでもファシリテーター、アドバイザーとして気付きを促したり、情報の共有をしたりするのである。これは、チェンバースのいう「Putting the first last」という言葉に代表される。

三つ目は「信頼」である。信頼の無い関係であると、今まであったような数多くの無意味ともいえるプロジェクトが行なわれ、受益者側とドナー側がお互いを非難しあうということがおきるのである。

2.参加型開発の「手法」と「ツール」

 一方、参加型開発の手法に重きを置く、いわば手法論者はPLA等の理念は理想的過ぎで、現実味に欠けることを指摘しているが、「手法」としては有効なので使ってみたいというものもいる。

ここでいう参加型開発の「手法」とは、「参加型農村調査手法(Participatory Rural Appraisal、以下PRA)」、「プロジェクト・サイクル・マネジメント(Project Cycle Management)以下PCM)」手法等であり多くの場合は開発目的やそのための調査で使われることが多い。

これらは、住民の出席を前提としたワークショップ等が組まれていたり、参加型のツールが使われているために、参加型手法と呼ばれている。主要な参加型のツールとその説明を以下に示す。

  • インタビュー:当事者に直接話を聞いたり、意見交換をしたりする。
  • マッピング:対象地域の地図作りをする。その地域の地理的特徴を理解するほか、当事者の心理的・感情的情報を理解する一助となり得る。
  • 年表作り:対象地域の年表を作る。地域の形成、発展過程、外部とのかかわりが見えてくる。
  • ランキング:ある物事について順位をつける。当事者の優勢順位等がわかる。
  • ロールプレイ:演劇をする。自分と違う立場を演じることで、それぞれの立場が見えてくる。
  • 供宴:当事者と友好関係を築く。
3.「手法」と「ツール」の一人歩き

上述のような「理念」が理解されたうえで、あえて「手法」のみを使うというのは考えられることだが、残念ながら、そうでない「手法」や「ツール」の一人歩きが起こっているというのも現状である。なぜそのようなことが起こるかというと、佐藤寛は以下の4つの理由があると述べている。(佐藤 2003:p4-6)

  1. Chambersの魅力的な言葉遣いとパフォーマンス;PRAやPLAといったParticipatoryのつく新奇な横文字言葉に、日本のインテリには魅力的なものとしてアピール度が高い。
  2. 日本のODA実施機関や途上国の政府に対する、欧米ドナーや国際機関からの国際的なプレッシャー;欧米の援助機関が「参加型開発」に注目し始めると、日本も他のドナーに後れをとらないようにというプレッシャーを感じてしまう。
  3. 開発業界において定期的に繰り返される潮流の影響;1990年代以降、従来の「経済成長」戦略のアンチテーゼとして、「社会開発」「人間開発」が注目された。ところが、それらの戦略は、プロセスが経済開発やインフラ開発と異なり、目に見えにくいため、どのようにしてその成果を達成できるのかの道筋が必ずしも明確でない。誰もが手探りでその道筋を模索しているときに、「参加型開発」は援助者の良心を満足させるアプローチとして注目されるようになった。
  4. 理解するのに時間がかかる;「理念」や「態度」といったものは理解するのに時間がかかるものである。したがって、より分かりやすい「手法」「ツール」が先に普及されしまうのである。
    PLAは参加型開発の理念を尊重する。手段ありきの参加型開発が、PLAとの誤った認識があるが理念と遂行するために必ずしも手段が実施されない場合もある。PLAは参加型手法であるPCMやRRAを必ずしも用いるとは限らず、臨機応変に行なうべきである。受益者が主体的に開発プロセスをコントロールするという特徴ゆえに、PLAは参加型開発と呼ばれるのである。

第3節 パラダイムシフト

さて、参加型開発を論じる上で、「パラダイムシフト(理論的枠組みの移行)」は一つのキーワードになる。現在、旧パラダイムである「技術移転型開発」から新パラダイムである「参加型開発」へとシフトしているのである(表1-1)。
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均霑理論:マクロの経済成長がミクロの貧困削減に自動的につながるという考え方
セイフティーネット論:はじめから意図的な対応をしなければ経済成長の果実は貧困層には届かない
トップダウン:ドナーや政府が決定権を持っていて、開発の中心的な存在となる
ボトムアップ:住民のニーズに基づき、住民が主体的に開発に関わっていく
ブループリントアプローチ:合理性に基づきプロセス設計され、計画通りに物事が進められる
学習過程アプローチ:住民やドナーの活動次第でプロセスは変化してゆき、どのように物事が進められるか予測できない

一概には、開発は技術移転型開発から参加型開発への「パラダイムシフト」としてとらえることができる。しかし、これは無条件に良いことなのであろうか。「パラダイムシフト」はそれが善であるという前提に立っていることが多く、したがって『「参加型開発」も善である』という理論につながる。「パラダイムシフト」論、すなわち一連の変化はひとまとまりの整合性を持ったものであり、「参加型開発」もその仲間なので『良いこと』であるという論は、本当にこのような「パラダイムシフト」が起こっているのか、そしてそれは望ましいものなのかについての様々な立場からの検討が必要であると思われる。もしそれが望ましいものであったとしても、パラダイムシフト=ボトムアップ=弱者の味方=正義=参加型開発(佐藤 2003:p10)というような思いこみをいったん離れる必要があるのではないか。

第4節「参加」のあり方

1.外部者の参加

 「参加型開発」を語るときにしばしば「参加型開発よって、貧しい人々の意見が反映されたよりよい開発が達成できる」という決まり文句がみられることが多い。しかし、どのような参加型開発手法を用いようとも、それが自動的に「貧しい人々」「虐げられた人々」の意見を反映させることを保証するものではない。

「迅速農村調査(Rapid Rural Appraisal以下、RRA)」はまさにその典型であり、手法としては「参加型」の立場を取るが、そこに情報の共有や、共に学習するといった態度は含まれていない。どのような手法を用いようとも、開発を働きかける側にこうした人々の声に耳を傾ける用意があるかどうかが、決定的に重要なのである。

Chambersが「参加型開発」で訴えようとしていたことも、途上国社会に向き合うときの「開発を働きかける側の姿勢」の再考であったと思われる。すなわち、専門家による指導・啓蒙という「技術移転型(旧パラダイム)」を問い直し、人々の声に耳を傾けよ、ということで当事者よりもむしろ、「外部者の参加」のあり方を問題にしているのである。

 さて、もしこの様な理解に立つならば、「参加型開発」とは本来、外部者と当事者双方の「態度」を再検討するものであり、人々を参加させるための「手法」の組み合わせによって実現するものではないことは明らかである。ましてやRRAなどの個々のツールを用いることが「参加型開発」の実践を意味するのではない、という点は明確に認識しておくべきである。

2.当事者の参加は常に「良い」ことか ~主体的な参加とは~

 「参加型開発」を語る上で、他にもしばしば決まり文句がみられる。「すべての当事者は主体的・直接的に参加することが望ましい」ということである。

特に、「強いられた参加」「参加しないという選択」についての考察は従来の参加型開発の議論では抜け落ちているのではないか。後者においては、参加によって望ましい結果が得られると自覚していても、参加するコストを担いきれないので参加できないということと、他方、自発的不参加がある。

自発的不参加としては、ただ乗りということと、白紙委任が挙げられる。ただ乗りとは、プロセス全体を通して、自分の都合の良い時だけ参加するということである。

白紙委任とは組織の意思決定のことであるが、参加する際に課される、情報の理解、自分の行動決定といったプロセスの「面倒くささ」および、そのために割かなければならない機会費用のコストを勘案した上で、それを選び取られているのであれば「村人の戦略」として捉えられよう。

さて、本章第1節でPLAの定義は、「住民が主体的に関与すること」と述べているが、よって筆者は「主体的な関与」は自発的不参加をも含むという立場を取る。

第5節 参加型開発のメリットとデメリット

 
本節では、「参加型開発」を行なう上でのメリットとデメリットをそれぞれ当事者と外部者に分けその特徴を分析することにする。
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1.参加型開発のメリット

まず、計画書を書く段階で、当事者が参加することにより、外部の専門家やコンサルタントのみで調査するよりも、社会的・文化的・経済的状況に関する多くの詳細な情報を手に入れやすくなるということが挙げられる。

また、早期からの参加により、住民は自らのプロジェクトだという意識を持つ事もでき(オウナーシップ)それにより、よりニーズの高いプロジェクトができる可能性が高くなるのである。

プロジェクト実施段階においては、多くの当事者が参加することで、相互監視されると、情報の透明性が高まり、資源の「不正分配・汚職」などが内部でモニターされやすくなり、ドナー資源の浪費を回避できる。

また、問題点が発生した場合にこれにいち早く気づきドナーに指摘する、ドナーの関与無しに自らで解決するということが行なわれる。すなわち、プロジェクトの軌道修正が必要になった場合、より現地の状況に適した対応策がとれる。

さらに、受益者・ステークホルダーの主体的参加があると、人々の間に技術と経験の蓄積が行われやすくなることが期待できる。これは、ドナーにとって、自立的持続性が高まるという点から、投入資源の効率的活用ができ、受益者にとっては、潜在能力の向上を意味する。

評価段階では、外部者だけの一方的な評価に比べ、受益者の実感に近い声が反映され、それに基づいた問題点の指摘、なすべき改善がより具体的に指摘されることが期待できる。これが、評価の質を高めれば、アカウンタビリティーとしてドナーのメリットになる。

受益者にとっては、次のサイクルへの教訓が直接フィードバックされやすいという点である。

2.参加型開発のデメリット

これは、筆者も現場で感じたことであるが、外部のものが地域に入るというだけで、地域住民に「何かしてくれるのではないだろうか」という期待をもたせてしまうのである。特に、計画段階から積極的に情報公開をすればなおさらである。

筆者が、「学生」という立場で調査したときと、「NGO職員」として調査した場合では、その傾向が顕著であった。すなわち、全く同じ質問をしても、「NGO職員」である場合の筆者に対する答えは、住民の期待が込められ「あれがほしい、これがない」といったような事が起きたのである。

また、参加型調査手法を試みようとすれば、短期的に人手も時間も多量に必要となる。つまり、手間暇というコストが発生するのである。コストという面に関しては当事者も、参加する際に、実際に集まるためにかかる交通費や、目に見えないコスト(畑仕事等を休まなければならないこと)が発生することは確かである。

また、周りが参加しているからという付き合いで、強制的に参加せざるを得ない状況ができてしまう可能性がある。

また、プロジェクトが失敗した場合、その失敗の経験が村の歴史に刻印され、「協調行動の失敗」という記憶が村全体の協調的開発への意欲を低下させる結果となる場合もあるであろう。

3.参加型開発のリスク

参加型開発は上記のデメリットだけでなく、リスクも抱えている。それは、参加型の「理念」が機能することによって、住民が主体的に活動し、ドナーがプロジェクトの方向性をコントロールすることが困難になりがちであるということだ。

これは、究極的には本来の参加型開発のあるべき姿なのかもしれない。しかし、どこがリスクかというと、方向性にコントロールが効かない、どこに向かっていくかわからないプロジェクトに国民の税金、あるいは支援者の寄付を投入することは正当化できるかどうかということである。

これは、出資者へのアカウンタビリティーという点においては、大きなリスクと認識するべきである。

第6節 小活

 
本章第2節のように、参加型開発は「理念」と「手法」に分けて考えることもできる。しかし、一方でこの両者が混同され「参加型開発」と呼ばれている場合も多々あるのである。図1-1は、一般的に「参加型開発」と呼ばれているものをめぐる言葉を整理したものである。

参加型開発の理念として挙げられるものは、PLAであり、手法として挙げられるものは、RRA、PRA、PCMである。そして、理念と手法の両方を含む場合があるものをPRA、PCMとして挙げた。

PRAとPCMは理念を尊重した上で手法として用いることもできるが、全く理念を無視しても活用することが可能である。この部分が「参加型開発」としてPLAと混同されがちなものである。

しかし、本章で述べてきたが、「参加型開発」の中でもとりわけ「理念」を重視しているPLAこそが「参加型開発」であるとの姿勢を筆者はとる。

参加型開発の究極の目的が「当事者の主体性・自主性」であるのならば、究極的には「外部者のいない」開発が理想の参加型開発となるであろう。しかしながら、通常の参加型開発は外部者の存在を前提としている。

この問題を突き詰めると、「いかにして参加させるか」を一生懸命考えるのは本末転倒であって、外部者であるドナーが当事者の開発プロセスに「いかに彼らの主体性を損なわずに参加するか」を考えるべきである。

すなわち、いかに外部者が他者の社会に関与するか、その関与の姿勢が大切なのである。

発展の道筋は文化によって、社会によって多様であり参加の意味づけも社会によって異なると考えるなら、「参加型開発」が持つ意味は、それぞれの文化に応じて多様なのである。

参加型開発の理念を尊重する「理念論者」の懸念は、参加型開発の名の下に行われている様々な開発プロジェクトのすべてが、参加型開発として考察の対象になり、それらの欠点が批判されることで「真の(=理念が正しく提言された)参加型開発」が「まやかしの(=理念を提言していない)参加型開発」と混同され、不当に評価される、といった点である。

また、参加型開発を行えば、達成されそうなメリット(効率性、持続性、主体性など)が多々あり得るとは思われる。しかし参加型の手法を用いれば自動的にこれらのメリットが享受できる訳ではなく、ましてや当事者のエンパワメントまでが保証されるわけではない。

教科書通りに参加型ツール(マッピング、ランキング、ワークショップ、インタビュー、季節カレンダー等)を使い、教科書通りの段取りで「参加型開発」を実施したとしても、参加型開発が理念として目指している「主体性」には到達しないことがあり得る。

つまり、「手法」がどれほど参加的であっても、それは参加型開発の「理念」の実現を保証するものではないのである。

さて、本章では「参加型開発」の「理念」と「手法」の違いを論じ、筆者は参加型開発の理念を尊重するPLAを定義し、それを支持するとの立場をとってきた。

第3章では、PLAを理念とし活動したNGOのプロジェクトの計画・立案を報告するが、その前に次章ではNGOの活動地であるザンビア共和国とチペンビ地区の特徴をみることにする。
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PLA;参加型開発実践学習(Participatory Learning and Action):本章参考
PCM;プロジェクト・サイクル・マネジメント(Project Cycle Management):プロジェクトの計画・実施・評価のサイクルをプロジェクト・デザイン・マトリックスという表を用いて運営する方法。プロジェクトありきである。
PRA;参加型農村調査手法(Participatory Rural Appraisal):日本ではRRAと混同されることが多い。RRAよりも、住民たちの意思を尊重し、またRRAと比べ、彼ら自身も使いやすいようなツールが多く含まれる。
RRA;迅速農村調査(Rapid Rural Appraisal):現地調査をより迅速に、より正確に行なうために、住民を参加させる(この場合は強制の意味も含む参加である)ツールを含む調査法である。

第2章 ザンビア共和国の概要と同国における農業の特徴

第1節 ザンビア共和国概要

1.一般事情

ザンビア共和国は、アフリカ中南部に位置する、面積7,526,100k㎡(日本の約2倍)の蝶々型をした国である。東西に最大1,206km、南北に最大815kmに広がっている。国土の大部分は標高約900mから約1,400mの台地である。

北部には3つの湖があるほか、世界最大の人造湖であるカリバ湖もある。また、西部にはカフエ川やザンベジ川があり、世界三大瀑布のビクトリアの滝が存在する。

人口1,010万人(外務省:2000年)で、そのうち145万人が首都であるルサカに居住している。人口増加率は2.1%と、アフリカの中でも比較的高い数値となっている。民族はニャンジャ族、ベンバ族をはじめ73部族がある。

そのため、公用語の英語を入れると74の言語が存在する。また、約70%以上が伝統宗教であり、約20%がキリスト教である。

重要な産業活動や主要都市部は幹線道路沿いに発達し、それに平行して鉄道が通っている。中でもタザラ鉄道は非常に有名である。1991年には総延長3,6370kmの道路があり、そのうち18%が舗装されている。

グレートノースはカピリムポシからタンザニアのダルエスサラームまで、グレートイーストはモングからマラウィの国境まで結んでおり、一般貨物の輸送に重要な役割を果たしている。
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図2-1 ザンビア共和国の地図
出所:http:www.eastedge.com/zambia

2.歴史

1964年10月24日、北ローデシアは独立してザンビア共和国となった。当時UNIP(United National Independence Party)の指導者であったカウンダが初代大統領となり、その後1991年まで政権の座にあった。

1970年代ザンビアは黒人多数派政権の樹立運動に大きな影響をもたらした。黒人支配の独立国家ジンバブウェの誕生により、政治的な圧力は軽減されたが、1980年代初頭、銅の国際価格の急落と旱魃によって、ザンビアは経済的危機を迎えた。

1986年12月、独立後最悪の暴動が起こった。これはメイズ粉への補助金を廃止した結果、価格が120%も上昇したためである。15人が死亡し、数百人の負傷者が出た。2日後にカウンダが補助金を復活させたことで平静を取り戻した。

1991年まで、カウンダ政権は1ドル8クワチャとする固定相場制や、IMFと協議して新しい経済改革プログラムを作成したりしたが、カウンダ政権への信頼は回復せず、MMD(Movement for Multiparty Democracy)のチルバに政権を譲ることになった。

しかし、政権交代後も、依然経済は停滞していた。チルバの緊縮財政は、海外の債権者には好評であったが、国民には不評であった。チルバのMMDも権力の座についてからは権威主義的となり腐敗し始めた。2002年にチルバは政権をムワナワサに渡した。

3.経済

現在、ザンビア経済は危機的な状況下にある。高いインフレ、厳しい旱魃、輸出価格の下落、経済政策の失敗などがこの現状を生んでいる。一人当たりのGNPが下降を続けた結果、1992年には国連によって最貧国に位置付けられることになった。

現在、一人当たりGNPは320ドルである。輸出収入の6割を銅・コバルトに依存する典型的なモノカルチャー経済である。ザンビア政府は、農業の振興、産業の多角化等に取り組み、近年、非伝統的輸出品に大きな伸びが見られる。

少々古いデータではあるが、GDPに占める各産業部門の構成比・労働比は表2-1のとおりである。労働に関しては、公式の雇用人口30万人の内訳である。
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第2節 ザンビア共和国における農業の特徴

1.ザンビア共和国における気候区分

熱帯に位置しているが、標高が高いため比較的過ごしやすい。気温が最も高いのはザンベジ川やカフエ川流域である。季節によって気温と降雨量に大きな違いがある。10月が最も暑く、6・7月がもっとも寒い。

雨季は11月半ばから始まり、4月に終わるとされているが、雨季の始まりは年々遅くなっていく傾向がある。2002年には11月半ばに一度降ったものの、その後1ヶ月あまり降雨がなかった。

北部の降雨量は1,300mmで、南部は750mmと少ない。9月は大変乾燥している。また、植生はサバンナとなっている。
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2.ザンビア共和国における農業区分

ザンビアには行政区分の他に農業区分がある。区分の上位から、プロビンス、ディストリクト、ブロック、キャンプ、ヴィレッジ、ファームとなる(図2-2参照)。1~2のキャンプ当たりに農業普及員が約一人の割合で担当している。
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3.ザンビア共和国内における農業生産とその消費量

ザンビア共和国における農業の位置は非常に重要である。本節1で述べたように、公式の雇用人口30万人以外の大半、つまり、約980万人近くは、自給的なものも含め、農業を営んでいることになる。

商業的な農業は銅産業が生活水準の向上を支えている間、食糧生産の拡大を続けることになったので、発展をし続けた。1950年代のヨーロッパ人移民の増加と経済の多角化により、メイズだけでなく、タバコ、落花生、綿花など、輸出向けの生産が拡大した。

また、1998年・1999年のザンビアにおける主要農作物の生産状況は表2-3に示す。しかし、急激な人口増加もあり、自国の農業生産が国内の食料需要を満たす水準に達することはなかった(図2-3参照)。

ただし、近年は外国からの援助もあり、供給量は十分であることが多かった。また、気候が園芸作物に適していることや、南半球なのでヨーロッパ諸国と気候が反対なことから、近年では、花卉や野菜の輸出が目立つようになった。
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4.小規模農家の特徴

多くのアフリカ諸国が植民地以来の土地所有問題を抱えているように、ザンビアもその例外ではない。ヨーロッパ系白人の大土地所有者と多くのザンビア人小規模農家が並存する状態は今なお続いている。資料によって様々な見解があるが、一般的には、5ha以下は小規模、5ha以上20ha以下が中規模、20ha以上が大規模とされている。

1964年の独立後、カウンダ政権により社会主義のもと、農業に対する手厚い保護政策(化成肥料、種子の低価格販売及び配布、収穫物であるメイズの高額買い取りなど)が1991年のチルバ政権に代わるまで行われた。

約25年にも及ぶ保護政策は農民の依存心を高め、化成肥料やハイブリッドメイズへの絶対的な必要性を農民は信じ、且つ政府の高額買い取りによりメイズ偏重型農業となった。

また、その保護政策時代からチルバ政権、すなわち資本主義の急激な台頭により、「何でも政府がやってくれる」という依存体質がついてしまった農民は、自分だけでは何もできず、特にアクセスの悪い地方では、農業資材が急騰したため農業生産が急下降した。

さらに、1992-1993年シーズンの大旱魃により小規模農家は深刻な飢餓に陥るという悲惨な状況に見舞われた。その後、雨が順調に降ったため、多少はメイズ生産量が伸びたものの、1998-1999年シーズン、1999-2000年シーズンの連続した多雨、2000-2001年シーズンの旱魃と3年連続でメイズの生産量は激減し、ここ20年で最大の食糧不足と言われるほど深刻な問題に陥った。

表2-4は2002年~2003年における需要と供給のバランス予測である。表2-4を見ればわかるとおり、輸入をしなければ国内の需要を満たせないのが現状である。緊急援助分も考慮に入れなければならないほど、現状は厳しいものなのである。
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表2-5は2002年、JICA専門家の鈴木篤志が旱魃被害地域の農民が過去3ヶ月の間にどのように食糧不足に対処しているか調査した結果を示している。これによれば、最も一般的な対処方法は「食事回数を減らす」ことで、78%の世帯がこの方法に言及している。

その他、食事に係わる対処法としては、「一回当たりの食事の量を減らす」、「定期的に何も食べない日をつくる」などが一般的である。また、例年より野生動植物に食べものを依存する世帯も多くなっている。

当面の食べ物を得るために、現金を借りる世帯も多くなっていることも示されている。現金の借り先は、まず友人・親戚、非家族メンバーが一般的で、金貸し業者から借金をすると回答した世帯はごくわずかであった(鈴木 ザンビア農業情報:p51)。
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次に、一日当たりの平均的な食事回数をまとめたのが、図2-4である。大人の場合で、食事を一日一回しかとらないと回答しているのが46%、二回が40%であった。

三回とっていると回答したのはわずか4%である一方、定期的な食事をとっていないものが10%にも及ぶことが示されている。子どもで、三回の食事をとる割合が高くなっているのは、子どもの食事を優先させる家庭が多いからと解釈できる。
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表2-3、図2-3、表2-4からも分かるように、2002年4月~2003年3月にかけて、全国的に見て食糧不足が起こっており、その被害を深刻に受けているのが、国の末端であり、人口の80%を占めるといわれている小農である。

また、小農は食事回数を減らすことなどにより、その現状に立ち向かっている。この様に、ザンビアにおける小農の暮らしは容易いものではないのである。それでは、われわれWAHEプロジェクトチームがプロジェクトを行なうことになった、典型的な小農が多く集まるチペンビの概要を次節でみることにする。

第3節 チペンビの概要

 
首都ルサカから北東へ約80km、自動車で1時間30分ほどのところに位置するチペンビは、3,455haの範囲に42の村、人口約30,000人からなる地区である。チペンビには5つの小さなダムがあるが、そのうち使用できるのは2つだけである。

1969年にザンビア協会連盟(United Church of Zambia、以下UCZ)がチペンビ地区一帯を購入したため、住民の大半がキリスト教信者である。

図2-5に見られるように、プロジェクトの中心地であったチペンビ農業大学校(Chipembi Farm College、以下CFC)の周りには、チペンビ女子中・高等学校(Chipembi Girls Secondary School、以下CGSS)やクリニック、教会など多くの施設がUCZの資金で建てられている(WAHEプロジェクトで重要なものは網掛けをした)。

CFCは農民の多いこの地域で、農業のバックグラウンドがあるためコミュニティの中心的役割を担っており、なにか催し物がある際には会場になることが多い。また、CGSSはザンビア史上最古の女子学校であり、その学術レベルはザンビアでも屈指である。

ザンビア国内でも裕福な家庭に属する子供たちがこの学校に通っている。このような背景があるため、チペンビには学生の割合が高いようである。比較的新しい地区なので民族も多様で、レンジェ族を中心にニャンジャ族、ベンバ族が存在する。CFCには2003年6月から、CGSSには1998年から青年海外協力隊員が赴任している。

チペンビでは、雨季にメイズ、大豆、綿花、落花生、ヒマワリ等の作物、バナナ、オレンジ、レモン等のフルーツを作っている。一方乾季にはトマト、タマネギ、レイプ(アブラナ科の野菜)、キャベツ、ニンジン、ハクサイ等の野菜をメインで作っている。より詳しい現状は第3章で述べる。
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第3章 徳島で国際協力を考える会でのWAHEプロジェクトの計画過程 ~薬浴槽再利用プロジェクトを通して~

第1節 NGOである徳島で国際協力を考える会とは

1.設立の背景

徳島で国際協力を考える会(Tokushima International Cooperation、以下TICO)は平成5年11月に発足した。そのきっかけは、代表である吉田修が、アフリカのザンビアを中心とする医療分野での難民救済、開発援助活動に参加した事にある。

ザンビア国は国連の分類において途上国の中でも最貧国に位置し、最も援助が必要とされる地域のひとつである。一人あたりの国民総生産額が約4,500円、大学等の高等教育を受けられるのは50人に1人、また5人に1人の子供が5歳まで生きられない。

そのような現状を目の当たりにし、なんとか自分たちで支援できる方法を考え、実行していこうという趣旨に基づき当会は設立された。

2.活動方針

TICOには「顔の見える国際協力を日本の一地域である徳島から実践すること」を目的とし、二つの基本的活動方針がある。

一つ目はザンビア等の途上国において戦争、貧困、飢餓など地球規模の問題に苦しむ人たちの自立を支援する国際協力活動である。

現在ザンビアのみを支援対象国とし、リサイクルX線機器の導入・技術指導、コレラ対策啓蒙活動、救急隊の整備などの医療協力、首都スラム地区での栄養改善・洋裁・保育園運営などの住民活動支援、住血吸中症対策としての井戸掘り、農民グループ活動支援などの総合農村開発事業を実施しているが、TICOの事業運営能力の向上後は他国への事業拡大も視野に入れている。

現在、非常に多くの援助がザンビアに投資されているが、物資の供給のみでひと作りも同時に行なっていない援助も多い。そのような援助は一過性のものとして、持続可能性が低くひと作りを行なうための投資としては効率の悪いものである。TICOの国際協力活動を実施する際の基本的な考え方は以下の通りである。

持続可能な社会構築を目指すためには人材育成・キャパシティビルディングが不可欠との考え方から、ただ単に資源面での物資を供給するだけでなく、日本人及び現地専門家による知識・技術面での協力を中心と考え、現地の人々の自助努力を促し、最終的には現地の人々自身の手によって事業が運営できる事を目的とする開発援助事業を主な活動とする。

しかし、南部アフリカを襲った2002年度の旱魃時のような人道的見地からみて必要と判断される場合には、物資供与を中心とした緊急援助も活動の一環とする。

二つ目は、途上国での国際協力活動を通して学んだ経験を、徳島を始めとする日本の地域の人々と分かち合い、日本人の生活をもう一度振り返る機会を提供し、共に持続可能な社会の構築を目指す地球市民教育(注1)である。

(注1)地球市民教育とは、ザンビアの一般市民の様子、TICOのザンビアでの活動などを伝え、ザンビアと日本とを繋ぐ目的だけでなく、日本にいながらにして実践できる行動のアイデアの提供を主な目的としている。TICOのザンビア事業への支援、環境に優しい廃油利用のすすめなど、身近に無理なくできることを主なテーマとしている。

第2節 TICOによるWAHEプロジェクト

1.WAHEプロジェクトとは

TICOが実施していたWAHEプロジェクトのWAHEとは、Water、Agriculture、Health、Educationの頭文字をとったもので、トンガ語(ザンビア主要民族語のうちの一つ)では「あなた達のもの」という意味があり、日本語での「和平」という意味を持ち合わせた、語呂合わせでできあがった言葉である。

もちろんただの語呂合わせだけではなく、Water、Agriculture、Health、Educationを網羅した総合的な村落開発を目指すという意味合いの方が強い。

本章第1節2で述べたように、2002年度は旱魃の影響で飢餓がかなり蔓延していた。特に南部州でその影響を強く受けていたので、TICOは人道的な立場からWork For Foodという形でメイズや豆の種を配布したり、巡回医療という形で、交通網が未発達の農村部での緊急援助を展開していったりした。

しかし、上記のような活動は一過性のものとして、持続可能性が低くひと作りを行なうための投資としては効率の悪いものであるとの見解がTICO内部でも広がった。

このような事実をふまえた上で、TICOの国際協力活動を実施する際の基本的な考え方は、現地の人々の自助努力を促し、最終的には現地の人々自身の手によって事業が運営できる事を目的とし、住民を主体とした、参加型開発であるWAHEプロジェクトが立ち上がったのである。

WAHEプロジェクトは、「プロジェクト」とよばれてはいるが、時間的制約のない、PLAの理念を尊重することのできることを含意する。すなわち、WAHEプロジェクトとは、最終的には現地の人々自らの力でプロジェクト運営できることを目指す、非常にフレキシブルな参加型開発プロジェクトなのである。

2.WAHEプロジェクトチームの編成

WAHEプロジェクトチームとして、PLA理念を持った者が、各々の専門分野を活かしながら計画・実施をするということで、様々な内部構成上の変化があったものの基本的には6名で編成されている。プロジェクトチームの編成および活動内容に関しては、表3-1にまとめる。
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第3節 プロジェクト地の選定

WAHEプロジェクトは、ザンビア共和国側から要請があったわけではなく、あくまでもTICO側の考察により活動していたので、プロジェクトを実施する前にまず、候補地からプロジェクト地の選択をしなければならなかった。

候補地であるカルブウェ、シャンジャリカ、チペンビの位置関係は図3-1に示したとおりである。また、各候補地は行政区分で言うと「地域」に属するものであり、第2章第2節2で述べたところの、キャンプとブロックの中間にあたりに位置する。
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1.プロジェクト地の選定方法

チペンビの概要に関しては第2章で述べており、且つ本章第2節、第3節で述べるので本節では割愛するが、プロジェクトを実施する以前から、プロジェクトチームのメンバーは各候補地に訪れたことがあったので基本的な情報はすでにプロジェクトチームの中で把握されていた。

しかしながら、プロジェクトの主要計画に当り事前調査として、プロジェクトチームのメンバーが専門的な視点からプロジェクト地選定を目的に最低2回は候補地を視察した。

選定方法としては、プロジェクトチームの6人が、セミストラクチャードインタビュー(ある程度テーマや質問の流れを決めてインタビューをすること)、トランセクト(住民と村中を歩き回り、住民から見た村の情報を手に入れること)、スコアリング(物事にや事象に得点を付け、優劣を決める)等々の参加型ツールを使い(もちろん、参加型ツールだけではないが)以下の表3-2に挙げたように各分野、項目、内容を確認しつつプロジェクト地選定のための調査を行なった。
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調査に関して、最も重要視したのは安全性であった。TICOザンビア事務所からの交通の便では、時間的・物理的距離が近い方が、問題が起こったときに対処しやすいので好ましいためである。

安全面では、事務所までの連絡方法(緊急時にどのような連絡方法が可能か、連絡方法が多いほうが好ましい)、現地住居状況(外部からの盗難等を防ぐための門や窓に鉄格子があるか)、医療事情(緊急時にどのような対応が可能か)、犯罪状況(殺人、盗難等は無いか)、隣人関係(万が一の場合、便りになるのは一番近くにいる住民である。その関係はどのようか。)、民族(一つの村に民族が混ざり合っていると、民族間の闘争がある可能性もある)といったことを注意した。

TICOとしてのメリット(プロジェクトのやりやすさ)では、キーパーソンの専門・モチベーション・在住期間・住民のニーズの把握・経費・経営状況、NPO登録しているか(登録をしている方がザンビア政府から援助が受けやすい)、過去のプロジェクト成功例(何か成功していたら、TICOとプロジェクトを始めた時に成功する可能性もより高いので)に重点をおいた。

外部とのかかわりでは、どれだけNGO・GOと関わってきたか(他団体と援助地が重なるといけないということや、関わりがあれば、それだけプロジェクトが成功する可能性が高くなるであろう)といった点を注意した。

以上のように4分野、24項目を中心に調査を行なった。この調査結果が、表3-4である。

2.プロジェクト地の概要
①カルブウェの概要

カルブウェにはプロジェクトチームで2回訪れることとなった。一度目は、過去10年間にわたり、緊急援助を含めた様々な協力活動を精力的に行ってきたMr. Sをキーパーソンとして話を聞き、トランセクトも行なった。

二度目は14の村から村長が集まってくれ、彼らに話を聞くことができた。そこで得た情報を中心にカルブウェの概要を述べる。

カルブウェはルサカ(ザンビアの首都)から約33㎞北東に位置し、半径約6kmの範囲に約15の村が存在する。日本山妙法寺を境に、古くからあった約13の村と、新しくできた約5の村とが二分されている(図3-2参照)。

これは、増加した人口を古い村では養いきれなくなり、新しい村ができ始めたとのことであった。各村には少ないところで30世帯、多いところで315世帯と大きな差がある。筆者の聞き取り調査によると、カルブウェ全体で、人口20,000人程度であるとの事であった。

主要民族はレンジェで、キリスト教を信仰している。住民の多くが農民で、メイズを栽培している。キーパーソンのMr. Sは宗教家であり、その普及のためにこの地に訪れたのだが、それ以前に、住民の生活を向上させないことには、宗教の普及どころではないということに気づいた。

それ以降は生活向上のため、緊急援助として食糧なども配布したが、それは一過性のものであり、依然として生活そのものは変わっていないので、緊急援助は無意味だということが分かったそうである。現在はその反省のもと、試行錯誤しているが、良い方法が見つからないとの事であった。

また、各村長の話をまとめると、この地域が抱える問題点として学校が遠い、クリニックが遠い、浅井戸しかない、農業資材不足等が挙げられた。その他の情報は表3-5に示すとおりである。

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②シャンジャリカの概要

シャンジャリカには三度足を運んだ。一回目は、チーフに会いに行った。これは、活動をしやすくするための顔合わせであった。二回目は、キーパーソンであるCDA(Community Development Assistance)に村の様子を聞きに行った。

三度目はCDAの協力を得て、周辺の村人とミーティングを持つことができた。そこで得た情報をもとに、シャンジャリカの概要を述べる。

シャンジャリカはルサカから約150㎞南西に位置している。正確な面積ははっきりしていないが、主要幹線道路から東に向かい30分程度入ったところにある、半径10㎞程度がシャンジャリカであるそうだ。54の村に約21, 600家族が住んでいる。

主要民族はトンガである。小中学校は、合わせて16校あり、クリニックも3つほどある。この地域には、55のウーマンクラブ(クラブには男性も含まれているが、こう呼んでいる)、12のユースクラブが存在する。ウーマンクラブの活動として、料理、洋裁、陶器作り、家具作り等がある。

そのうち農業関係は15あり、活動内容は、きのこ栽培、野菜栽培、コットン栽培、雑穀類栽培、養豚、農業経営等がある。また、外部から資金を取って活動しているのは、きのこを栽培しているクラブ(カトリック系ミッションから)、畜産をやっているクラブ(Heifer Internationalから)、洋裁をやっているクラブ(Women For Changeから)の3つである。表3-3に見られるように、多くの協力実施団体の支援を受けている。

ハンジャリカの住民のほとんどは農民であり、メイズを主として作っているが、周りに大規模農場があるためか、綿花やたばこを作っているところも見受けられた。
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表3-4は、ハンジャリカにてセミストラクチャードインタビューをしてまとめたものである。これはアンケート形式のように全ての質問をあらかじめ用意したものではなく、ある程度は用意したがその場の話の成り行きで聞いていったものである。

質問者は筆者で、回答者はMr. Mweemba、Mrs. Monga、Mr. Mazba、Mrs. Kajemba、Mr. Chimbari、Mr. Ayuna、Mr. Chikakura、Mrs. Ochen、Mrs. Mirimo、Mrs. Habrato、Mr. Maramboの11人であった。

この結果で興味深かったことは、質問の行い方と、その場の雰囲気で、答えが変わってくることである。始めに組織の成功例を聞いたときは、何も無いとのことであった。

しかし、住民のこれからの希望活動を聞き、資金管理のしかたを聞いた後に、最初と少し質問内容を変えて、何か成功例があったら、われわれWAHEプロジェクトチームも、住民の組織力に信頼性がもてるので、協力しやすくなるという様な旨を伝えると、成功例が挙がってきたのである。

これはいささか嫌らしい質問ではあるが、これをすることにより、どの程度お互いが本気でプロジェクトを行っていくかを試すために行った。また、その他の情報は表3-5に示したとおりである。
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第4節 プロジェクト地の決定

このような候補地決定のための事前調査から調査けっかをまとめ、PLA手法の一つであるランキングを使い、点数化し候補地を決定することになった。

ポイントの付け方としては、上記に挙げた、諸条件(時間的・物理的距離、事務所までの連絡方法、現地住居状況、医療事情、犯罪状況、隣人関係、民族、キーパーソンの専門・モチベーション・在住期間・住民のニーズの把握・経理・運営状況、NPO登録しているか、過去のプロジェクト成功例、どれだけNGO・GOと関わってきたか)を1点から10点の間で、それぞれ重要だと思うものには高得点を、そうでないものに低得点を持たせた。

例えば、キーパーソンのモチベーションは非常に重要なため最高点の10点を持たせ、プロジェクト運営や安全性にそれほど影響無いであろう民族には1点を持たせた。各条件の得点はプロジェクトチームが「職員の安全性」と「プロジェクトのやりやすさ」を基準に設定したものである。

各候補地で、どの程度満たされていたかを比較していき、最高なものには5点を、最低なもので1点を持たせ、それぞれの各条件の持ち点と各候補地の持ち点を掛け点数化した。

例えば、TICOからの距離では、カルブウェは最高点の5点、シャンジャリカは1点、チペンビは3点なので、それぞれ、カルブウェ2×5=10点、シャンジャリカ2×1=2点、チペンビ2×3=6点ということになる。以上のように得点化していき、まとめたものが表3-6である。

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ランキングの結果、総合でチペンビが433得点と他を大きく引き離し、プロジェクトサイトに決定されたのである。表3-6でも分かるように、安全面で他を圧倒したのが、チペンビがプロジェクトサイトに選定された大きな理由である。

ここに、典型的なNGOの姿が映し出されている。まず、候補地を外部者が選ぶという時点で、すでにPLAであるかどうかは疑わしいが、仮にそうであったとしても、結局外部の人間が安全に生活できる地域をNGOの立場から選ばざるを得ないのである。

いくら「参加型開発」をうたっていても、このような外部者の選択は、どこかについて回るものなのかもしれない。

第5節 チペンビにおけるプロジェクト選定のための事前調査

 
我々WAHEプロジェクトチームは一連の事前調査の結果、チペンビでのプロジェクト案件形成を実施することに決定したが、各調査員と住民の一層の信頼関係を作り、現地の状況や住民のニーズを知るために、プロジェクト実施前に、第1回、第2回事前調査を行った。

調査は、プロジェクト開始をした後も、各調査員の専門分野の基続けていたが、本論文では実際行われることになった薬浴槽プロジェクトに関係のある、筆者の調査を中心にまとめた。

第1回事前調査においては、プロジェクトを行ないたいという旨を、プロジェクトの各専門分野のメンバーが、関連のある住民に(例えば、筆者であれば農業普及員に、医療調査員であれば、クリニックに)伝えることを、主査として行った。

第2回事前調査は、より詳しく調査を行なうためチペンビの一住民から政府役人まで、生活を楽しむためのクラブから補助金をもらうために結成されたコーポレイティブまで、子供から大人まで、女性から男性まで、様々な社会的属性を持つ個人、団体に対して調査を行った。

また、WAHEプロジェクトチームが直接調査に入るだけではなく、住民のほうからわれわれにコンタクトを取ってくる場合もあった。調査方法はインタビュー、ワークショップへの参加、RRAの手法等も混ぜながら、多岐にわたり実施した。

事前から決められた調査法もあったが、大部分はその場での対応を通じて行われたものである。また、詳しいデータが得られないため、本節には挙げなかったが、住民との信頼関係を深めるため(というよりは、お互い楽しむため)お酒を交えた供宴や、一緒にリコーダーを使ったレクリエーション等も行ってきた。

さて、先にも少々触れたが、WAHEプロジェクトチームとしては、筆者が本節で中心にまとめている農業分野だけではなく、医療分野、教育分野を、時には筆者と医療分野専門調査員が共に調査をするなど、様々な角度から様々な手法を用いて、様々な対象者に、調査を行ったものである。

表3-7は筆者が直接関わった調査の概要をまとめたものであり、これについてはこの結果を後に詳しく述べる。表3-8は筆者が直接関わらなかった調査である。このように、チペンビ住民のできるだけ多くの立場の人々から話を聞くことで、情報をより透明性、信頼性のあるものになるように配慮した。

また、本事前調査に限っては、2003年6月23日から同年7月23日にかけて、常時2~5人の調査員で行った。
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1.第1回事前調査

対象者:Mr. Njovu
目的:チペンビ地区の農業情報を収集する。
調査方法:インタビュー

調査結果
地域の農業普及員に農業情報を集めに行くため訪問したが、当日不在であったため、近隣に住んでいるMr. Njovuという獣医に会うことになった。セーセコンパウンドで8年間、政府管轄下の獣医として働いており、非常にモチベーションが高く、先見性のある人物であると感じた。

セーセコンパウンドとはチペンビ地区の行政的中心地である。チペンビ地区で催し物がある際は、セーセコンパウンドかチペンビの各学校で行うことが多い。18家族が在住しているうち、9人が政府のもとで働いている。9人の内訳は獣医4人、農業普及員1人、看護婦1人、先生1人、CDE (Classified Daily Employees)2人である。

農業普及の際には、CF(Contact Farmer)を通し普及している。CFはヘッドマンを中心に英語が話せる農民を集めており、現在合計30人以上いる。ミーティングはCFCかセーセコンパウンドのオフィスにて行う。CFへの連絡方法は以下の通りである。

  1. 一週間前にレターを書く
  2. レターをクリニックに持っていく
  3. クリニックにあるレターを村の農民に渡す
  4. 村の農民がCFへ持っていく

この連絡方法は、CFだけではなく、一般的にもこの方法で連絡がなされる場合が多い。周囲の村ではMr.Chipotaがセーセ付近におり、CFCからも実習生がお世話になっている。また最近、Mr.Taitasがプライベートで薬浴槽を設置しており、十分な利益を得ているようである。

また、チペンビ地区にはFoot ball、Chess、Volley ball、Women club等のクラブがある。Women clubはDACO(District Agriculture Coordinating Officer)からローンを組んで活動をしている。EUの援助でCattle Clubもあったが、現在は活動していない。

チボンボ地区(セーセコンパウンドから70㎞)から家具作りのクラブを、セーセを拠点に始めたいとのコンタクトがあったとのことで、この地域のクラブ活動は活発のようである。

Mr.Njovuは、将来のビジョンとして、「井戸や大きな設備を建てただけだったので今までのプロジェクトは持続性がなく、失敗に終わってしまった。

持続可能な開発を目標にした場合、例えば、牛の薬浴槽はあるので初期投資に薬を買い、その後はそのサービスを活用した農民から集金するなどして次回以降の薬を買うようにするなど、ハード面の充実だけではなく同時にそのような組織作りや考え方を農民に教えたい。

また、東部・西部・南部州では家畜を大事にする農家が多いが、中央州には非常に少ないので、病気で大多数の牛が死んだことを真摯に受け止め、繰り返さないようにしなければならない。」と語っていた。 

小括

本インタビューにおいて、まず始めに、このようなモチベーションが高く、先見性のある人物に出会えたことが収穫であった。本来はチペンビ地区の農業情報を調査する予定であったが、それ以外にも、WAHEプロジェクトにおける受益者対象ともなりうる、クラブの情報も収集できた。

また、このインタビューがきっかけで、薬浴槽再利用プロジェクトが住民側から提案された。しかし、ここで言う住民とは、政府下で雇われている獣医であるので、社会的属性も上位に含まれるであろう。

2.第2回事前調査
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対象者:Chipembi Basic schoolの小学生
目的:小学生に好き嫌いの絵を書いてもらい、その中から村の将来の発展性や問題点をみつける。
調査方法:好き嫌いアンケート
調査結果
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備考
・(注1)Mwanabungaという地域に現れた。実際に野生の像がいるとのことであった。
・(注2)Mamboshi River(Chipembi Basic Schoolから約7km)にいる。
・その他、好きなものとして、学校(勉強が出来るから)、教育(いい仕事に就け母親を助けられるから)等が挙げられた。
・嫌いなものとして、蛇(噛まれると死ぬから)、ライオン(殺されるから)等が挙げられた。

生徒の家庭状況により、好きなもの嫌いなものがはっきり分かれているように考えられる。LunguやMilfredの好きなもの嫌いなものは、より彼らの生活に密着している一方、Nesterは実生活からは離れていた。また、今回の回答は、前もって準備され、教科書通りの答えだという印象を持った。

小括

本アンケートは、村の将来の発展性や問題点をみつけるという目的があったものの、その目的に達するまでには、この程度のアンケートだけでは達成されないことが分かった。

一つのツールに固執することなく、もっと柔軟に調査するべきであるという、NGO側にとっては、一つの良い教訓になった。またこれは、NGO側が前もって準備して行ったものなので、生徒側の回答も、用意されたような回答であったのであろうと推測される。

2-2

対象者:Mr. Filimon Philli
目的:チペンビに住んでいたときの知人である彼の村及び周囲の村の情報収集をする。また、調査のための農民を紹介してもらう。
調査方法:インタビュー
調査結果
Mr. Filimonは1982年チペンビのSuze Villageへ移住し、2000年から新規に農業を始めた。雨季は畑仕事をするが、乾季はピースワーク(日雇い労働)をするという典型的な小農である。ピースワークは主にフェンス作り、ブロック作り、チブク(メイズから作ったどぶろく)売りをする。

2002年シーズンは1リマ(注1)のメイズを植え、粒として2袋×50㎏の収穫があった。平均値である6袋×50kgの収穫と、なぜかけ離れているかというと、毎回耕耘用の牛を借りるのにK40,000/1リマ(注2)支払わなくてはならず、しかも、牛保有農家が使用したあとなので、播種適期を逃してしまうことが多いからであると言っていた。

ピースワークの一日の賃金はK6,000であるから、それと比べどれだけ高価かがわかるであろう。その他、サツマイモを植えたが、これも定植が遅かったのでうまく実らなかったそうである。2002年は10月の終わりに自作のメイズがなくなったため、その頃からピースワークをはじめ、生活費を稼いだ。2004年シーズンは食糧安全保障のため、キャッサバも植える予定である。

さて、彼の住むSuze Villageには約100家族が在住しているが(彼の推測で定かではない。ヘッドマンに聞いたほうが良いと彼も言っていた。)その中で牛を飼っているのは、8家族だけである。

彼の周囲の村に関して、2002年は、アメリカの教会を通じ食糧援助があった。第一回目は20㎏/家族のメイズで、第二回目は50㎏/家族のフィンガーミレット粉であった。フィンガーミレット粉は土色をしていて普段は口にすることはないのだが、実際食べてみると美味しいとのことだった。

Yumba village、Chamuka village、Kopoti villageは2002年1月からもらい始めたがSuze village、Chikonkoto villageは同年4月からだった。当初、後者の村には配布予定はなかったのだが、住民からのクレームがあり最終的に入手することが出来た。

かなりの農民は早い時期(彼は早いところで9月頃といっていた)から食糧の底がつき、メイズの購入をせざるを得なくなった。1・2月が食糧不足のピークでK30,000/ティーン(注3)となった。

Suze village周辺でメイズを売っているのは(つまり、十分なメイズの収穫があった農家は)Mr.Weston、Mr.Orasho、Mr.Syia、Mr.Miranduである。食糧不足がひどく野生のキャッサバを食べて2人の子供が死んだ事実もある。

キャッサバには毒を含むものもあり、生で齧ってみてチリのような味がするものは食べられない。
(注1)1リマは1/4haである。
(注2)1$=K4,800である。(2003年9月現在)
(注3)1ティーン=約3リットル。1ティーンは一缶をあらわす単位である。

小括

本インタビューにより、目的である周囲の村の情報を収集でき、また調査のための農民も紹介してもらった。小農から見た、外部団体援助の実態もつかむことができた。また、小農の生活水準も垣間見え、さらには農民ならではの生活の知恵も情報として収集することができた。

2-3

対象者:Mr. Shambololo
目的:農業普及員である彼から話を聞きチペンビの基礎情報として農業全般の情報を集める。また、地域開発アシスタント(Community Development Assistance)のいないこの地区で住民活動を指揮している彼に、それらの活動内容や地域有力者を聞いたり彼からみた住民のニーズを聞いたりする。
調査方法:インタビュー
調査結果
2003年シーズンは昨シーズンに比べ降雨量が多かったため、収量も昨シーズンに比べ概ね良好であった。チペンビはレンジェ・トンガ民族が多いのでサツマイモを好む傾向がある。特に朝食として重宝されている。

品種としてはChingofa(早く育つ、害虫に強い、腐敗しにくい、食味が良い)を植える農家が多い。キャッサバの需要はそんなに高くはない様だが、雨があれば十分育つ。

2002年は11月頃から村全体的に食糧不足になり始めた。その頃に、Care international(NGO)が小麦を50㎏/1家族(6人)に配布した。この援助の受益者を選んだのはMr. Shambololoである。前述のアメリカからの援助に関しては、キリスト教関係であったので、彼が担当したのではなく教会の牧師が担当した。

村で活動している組織として、6年前からCooperative Executive Committee Membersという名で、各10人ずつ15組のコーポレイティブがある。活動内容は、畜産、作物、野菜、ビジネスと多岐にわたる。各コーポレイティブはそれぞれチェアーマン(Contact Farmer)、秘書、会計役がいる。

その他、農業関係のWomen’s Clubは10組あり、医療関係を入れると相当数ある。コーポレイティブのミーティングは四半期に一回程度であり、政府主導の援助プログラムを受けるため結成されているようである。クラブの単位はもっと小さく、ミーティングも頻繁にあり、活動的である。

さて、2002年シーズンPAM(表3-10参照)のもと、育てられた作物のうち、メイズ、落花生、カウピーは良好であったが、豆、サツマイモは不良であった。11月、12月と雨が降らない時期があり、シロアリが発生したことが後者の育たなかった原因である。

2003年PAMプログラムの一環として食品加工を始めとしたワークショップがある。小農の集まるクラブを対象に、2002年のFood security Pack及び Crop Diversificationにて生産された作物の食品加工を普及するのが目的である。

カウピーソーセージ、カウピーミートボール、トマトジャム、オレンジ・レモンジュース、ポテトチップスなどが食品加工として挙げられる。その他、ワークショップでは野菜の保存法やHIVの予防に関することも行う。

MACO(Ministry of Agriculture & Cooperatives)の下で行われているPAMのワークショップであるが、HIVに関してはMOH(Ministry of Health)と協力して推進されている。

その理由として、食物は人体の健康と直結しており、HIVにかかった後も良い栄養状態であればAIDS発症を予防できることから、HIVというトピックをワークショップに入れてある。

また、「農業のワークショップに来た」農民にも、予想外のワークショップなのでショック療法のような良い反応がみられることが多いそうである。各クラブがPAMプログラムに参加するには、まずクラブがMr. shambololoに参加希望の旨を伝え、その後、彼がクラブ活動を調査して活動的であれば参加ができるようになる。

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(注1)換金作物、食糧作物、マメ科の植物の各インプットを輪作する。初年度は次期作の採種のために育て、採種されたものはマウントマクル研究所(国営農業試験場)に持っていかれる。そこで試験に通れば、種を売ることができる。因みに昨年許可証が取得できたのはYuda villageのMr.Moses だけである。

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農業一般の情報については、非常に良いものが収集できた。また、何か問題があったり、相談があったりすると皆彼のところに訪れるということで、農民の組織活動や村の現状をよく把握しているようであった。しかしながら、住民のニーズをどこまで把握しているかは、分からなかった。コーポレイティブやクラブに関しては、大きいものから小さいものまで、多種多様に存在していることを確認できた。

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対象者: Twowafane club
目的:Mr.Shambololoに聞き取り調査をしている間、私達の話を聞きつけてコンタクトを取ってきて、活動内容を見てもらいたいとのことであったので、視察に行った。
調査方法:インタビュー、視察
調査結果
Ms.Fribaが代表であるTwowafane Clubのメンバーは16人で構成される。クラブへの参加費はK5,000/1年で、現時点での予算は約K150,000ほどである。

週2回ミーティングを行なう他、主な活動として、ルサカからお皿を買ってきて売ったり(一度に50枚程度お皿を購入し、半分は売り、残りはローンで村人に売った。しかしまだ返済されていない。)共同農場でサツマイモを作ったり(昨年はPAMから蔓を入手した)している。

近い将来、共同農場で、加入者全員で作物を作ったり、井戸を掘ったり、AIDS/HIV運動、孤児のための施設を作りたいとのことであった。

彼らの共同農場は、川沿いに10a程度あり、乾季である調査時現在はレイプ、タマネギ、白菜、トマトを作っていた。肥料として有機肥料である牛糞を使っていた。問題点として、共同作業をするメンバーが限られているということが挙げられた。共同で農業をすると手を抜いたりする農民が必ず出てくるので失敗しがちだが、比較的きちんと育っていた。

小括

筆者たちが調査に入ることで、多くの住民に良くも悪くも影響を与えているということを実感した。クラブメンバーとの会話の端々で、NGO側に資金提供を望んでいることが伝わってきた。クラブ単位のニーズとしては、上述のとおり、井戸掘り、AIDS/HIV運動、孤児院の設立というものが挙がってきた。

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2-5

対象者:Mr.Njovu
目的:前回Mr.Njovuとの協議中に出た薬浴槽再利用プロジェクトについて、より具体的な話をし、その可能性を探る。
調査方法:インタビュー
調査結果
使われなくなった薬浴槽はCFCから約3.5㎞東に離れたChiromba地区と3kmほど北に離れたNpatamatuに位置する。

もともと、Chirombaの薬浴槽はCFCの所有物であったが1996年にコリドー病が発生し、800頭近くいた牛が30頭近くまで減少して以来使用しなくなった。Npatamatuの薬浴槽は1970年代、当時のECがチペンビ住民のために建設したものである。

こちらは、住民のニーズがない時代に一方的に建てられたものであったので、誰にも管理されすそのまま廃れていった。

薬浴槽を使用した際、初年度は徐々にコリドー病が減っていくが、3年目からは急激に感染牛が減少する。ここ数年の統計(Mr. Njovu談)によると年間7%の割合で牛が死んでいるので、薬浴槽を再利用するのは効果的であろう。

また、コリドー病が深刻な問題になる前は、コリドー病が原因で死ぬという情報も農民は全く信じていなかったが、現在はそれを目の当たりにしているため、住民のニーズは極めて高いだろう。

受益者の公平性については、牛保有農家が村全体の10%前後ということで、受益者になる農家に偏りがあるのではないか、牛をも保有していない小農は受益できないのではないかという質問に対し、小農も受益者になれるという回答であった。

理由として、
1.牛が死ななければ、耕耘敵期に牛を借りることができる可能性が高くなる。
2.コリドー病が怖くて牛を飼えなかった農家も、購入することができる。
ということが挙げられた。受益者規模は約半径4㎞で約700頭の牛がいるであろう。

牛1頭あたり、薬浴槽 使用料はK500がザンビア国内で相場である。また、薬の値段は500ml/K40,000である。薬浴槽は800l入るので、薬は20l(20,000ml)/3ヶ月必要である。乾期には1回/2週間、雨期には1回/1週間の割合で薬浴する必要がある。

受益規模の約700頭のうち500頭が使用すると仮定し計算すると、
・(3ヶ月間の薬代=支出)20,000ml÷500ml×k40,000=K1,600,000
・(乾期3ヶ月間の使用料=収入)12週間(3ヶ月)÷2週間×500頭×K500=K1,500,000
・(雨期3ヶ月間の使用料=収入)12週間(3ヶ月)×500頭×K500=K3,000,000
以上のようになる。したがって、乾季にはK100,000の赤字になり、雨期にはK1,400,000の黒字になる。

薬追加時期の見分け方としては、まず少量の薬浴槽の水を小さな皿に取り、その中にダニを入れる。15分以内にダニが死ななければ薬を追加するという方法がとられる。薬浴槽の水は8ヶ月に1回の頻度で代えてやればよい。

もし、このプロジェクトを進めるのであれば、彼がワークショップをやったり、組織を作ったりしてくれると約束してくれた。

薬浴槽再利用以外のアイデアとして、ルサカまで薬を買いに行くと時間と資金が非常にかかり、適期に薬の使用ができないことから、薬浴槽付近にショップを開いて家畜用の薬を売るということが挙がった。

小括

今回は調査というよりも、協議に近かった。できるだけ早くプロジェクトを立案したい本部側の意向も手伝い、具体的な計画案を持ち、行動力のある彼に大きな期待が持たれた。しかし、筆者はできるだけ焦らないよう、焦らせないように心がけて行動をした。

なぜなら、外部者の都合で行動をすることは、PLAの理念に反するからである。Mr. Njovuは学生のテスト直前の忙しい中わざわざ時間を割いてくれたことからも、彼のモチベーションの高さが伺え、様々なアイデアを持っていることもわかった。
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左側:Mr.Njovu

2-6

対象者:Cooperative/Club
目的:PAMプログラムや今後の農業の予定についてクラブとミーティングを持つとの情報をMr.Shambololoから聞き、住民組織の活動、ニーズや問題点を調査するためにミーティングに参加した。
調査方法:インタビュー、ランキング
調査結果
ミーティング開始時は数グループしかいなかったものの、時間がたつにつれてどんどん人が増えてきたので、筆者、教育分野調査員、水分野調査員の3つのグループに分かれて質問をすることになった。最終的には、13グループが集まったが、以下は筆者の担当した4グループの調査結果を述べる。
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クラブの農民にTICOに対する質問はないか聞いたところ、「TICOは何を協力してくれるのか?」ということが挙がった。それに対し、「何か良いアイデアがあって、そのアイデアに私たちも賛同できるなら協力する」という旨を伝えた。

すると、あちこちから意見が上がったので、そのアイデア(プロジェクト)の目的、活動内容、予算等を書いてもらうように頼んだ。

また、集まってもらった人に対し、需要を知るためにランキングをした。これは最初から用意していたものではなく、調査中での対応である。Mr.Shambololoと一緒に来ていたもう一人の方がランキングの方法を知っていたので彼に任せることにした。

因みに彼は、MACOから出版されているParticipatory Extension Approachという本でランキングを学んだそうである。まず始めに、好きな作物をできるだけ挙げてもらったところ、メイズ、落花生、ヒマワリ、大豆、豆、コットン、カウピー、サツマイモ、キャッサバ、ソルガム、の10つが挙がった。

その中からさらに好きな6つの作物を挙げてもらったところ、メイズ、落花生、コットン、サツマイモ、豆、ヒマワリが挙がり、ランキングを実施することになった。

結果は表3-12に見られるように、メイズが他を圧倒して1位であった。住民は迷うことなくメイズに挙手していた。また、換金作物よりも、食べ物に票が集まっていることが読み取れる。
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小括

本インタビューを通して、クラブ単位のニーズを把握することができると思うのは危険ではなかろうか。なぜなら、彼らは、多くのクラブメンバー中の一握りであり、彼ら個人のニーズである可能性も十分考えられるからである。

筆者のグループでは、将来の希望活動として養鶏、養豚が多かったのは、インタビューの最中、彼らの付近に獣医が近くにいたことが影響されたのではないかと考察できる。

また、筆者以外のグループでは、ハイブリッドの種と化成肥料を使った農業を行ないたいという意見が圧倒的に多かった。その他、AIDS予防キャンペーンなどが挙がったが、本インタビューの対象であるコーポレイティブは、PAMプログラムの助成を得ようとしているグループだったため、必然的に農業関係の希望活動が多かったことは否めない。

また、ランキングにおいては、換金作物よりも食べ物にその中心をおいていることから、2001年シーズンの飢餓が大きく影響されていると予想される。
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2-7

対象物:使用されていない薬浴槽
目的:実際に薬浴槽を見て、もしプロジェクトを開始するのならばどのようなものが必要か、どのような問題があるか等を調べる。
調査方法:視察
調査結果
CFCからルサカへ向かうメインロードから小道を入って数分の場所に位置するChiromba地区の薬浴槽を視察した。ここ数年誰も使った形跡がなく、薬浴槽までの道のりはまさにブッシュだった。薬浴槽の周りもかなり背丈の高い草が生い茂っていた。

ここの薬浴槽の許容量は1,000頭/1週間である。薬浴槽を使うまでに必要なことは、周囲をきれいにすることや、薬浴槽のひびを埋めるためのセメントを購入すること、牛を薬浴槽へ誘導するためのポールとワイヤーを設置し、水の確保をすることである。

水の確保については、薬浴槽の付近に井戸やタンクがあるが、水をタンクに上げるためのパイプをCFCへ持っていってしまったので、活用できない。また、深井戸もあるが枯れてしまっている。薬浴槽には800lの水が必要なので、水の確保は必要不可欠である。

Mr. Njovuによると農民が協力して近くから牛車で運ぶことができるということであったが、そうなるとかなりの労働力が必要だと思われる。

小括

NGO側がプロジェクト立案のために先走らないよう、筆者は心がけていた。本視察もMr.Njovuの提案で行われたものであり、筆者らは、彼らの行動を見守るという姿勢を崩さなかった。プロジェクトが始まる前に、公平性を配慮して、一般的な住民の意見も聞くべきであると考えられる。
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2-8

対象者:Mr. Kabanga
目的:調査滞在中、彼が偶然訪れ、チータザンビアという会社にパプリカの販売をしているということだったので、企業に作物を卸している農民の生活を調査するため、聞き取り調査を行なった。
調査方法:インタビュー
調査結果
チータザンビア(アメリカの企業)にパプリカを卸している、グループのチェアーマンである。上記のパプリカの他、ヒマワリ、メイズ、キャッサバ、オレンジを栽培しており、9頭の牛を飼っている。ヒマワリはアマニータにK850/㎏で卸している。

立て続いた旱魃やコリドー病により、50本のオレンジの木は15本になり、30頭の牛は9頭になった。9頭の牛にはコリドー病予防のため毎週スプレーをしている。使用薬品はTRIATIXといい、K11,500/100mlである。20ml/9頭/1週間の割合で使用しているとのことなので、以上のことを踏まえ、K500/1頭の薬浴槽を使ったときと比べてみると、
K11,500÷(100ml÷20ml)÷9頭=K255/1頭
となり、スプレーをするほうが安上がりであることがわかる。

さて、彼の畑にキャッサバを発見したのだが、彼はザンビア北部のルアプラ州出身なのでキャッサバは常食としている。その食べ方として以下の3つが挙げられる。
1.シマにする(注1)
2.ゆでる
3.1週間水につけその後焼き、落花生と一緒に食べる
という方法がある。また、この地域の問題点として、水不足であるということを挙げていた。

パプリカの契約栽培については、チボンボ地区でこの企業の情報を手に入れ、その情報を基にルサカの本部へ問い合わせたところ、メンバーを集められれば開始するという条件でスタートした。

現在メンバーは25人で、グループの活動資金は、一人当たりK5,000/1年である。パプリカの収穫は800㎏/1リマである。品質によりGrade A・B(K2,800/㎏)、Grade C/D(K1,500/㎏)、ヘタ(K300/㎏)で販売している。

ルサカに自分で持っていけば2倍の値段で買い取ってもらえるが、様々な手間を考えると、取りに来てもらったほうが彼らにとっては良いとのことで、このような値段になっている。収穫物は彼が代表して集めて会社に販売している。

種はK40,000/300gで会社から買わなければならない。年間を通して、メンバーの平均利潤はK40,000程度である。

(注1)シマとはメイズを煮て料理するザンビアの典型的な主食である。ここでいうシマとは、メイズの中にキャッサバ粉を混ぜて料理するものである。

小括

彼の話を聞き、ここ数年の旱魃とコリドー病の影響は多大であることが再確認できた。また、数少ない、企業農家と提携している小農であるが、年間を通しての利潤がK40,000程度(ピースワークは一日K6,000)で生活しているという、小農の生活の苦しさも感じられた。
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2-9

対象者:Mr. Moses
目的:種子の販売許可証を取得したり、Conservation Farmingに挑戦したりしている優良農家の畑を見学し、小農との違いを視察する。
調査方法:インタビュー、視察
調査結果
チペンビに来て7年目であるMr. Mosesは、メイズ、落花生、豆、カウピー、サツマイモ、タバコ等を栽培している。2002年シーズンは3/4haをConservation Farmingで行った。PAMのSeed Multiplication プログラムにおいて、優秀であったためCFC周辺で唯一種の販売許可証を持っている。

Conservation Farmingで行ったメイズの収量は、まだバッグに詰めていないので正確な数はわからないが、2002年シーズンと比べかなりの収量があった。彼はYuda Cooperativeのチェアーマンである。メンバーは15人でミーティングは月に1、2回行っている。

数年ほど前、Kakumbachamukaダム沿いに野菜畑を開墾した。この周りの土地は政府のものなので、誰が使っても良いとのことだった。畑の中に手掘りの井戸を1年かかり作った。このダムからフットポンプで水をくみ上げ、ダム周辺に灌漑できる畑を一面に作りたいとのことであった。

フットポンプならランニングコストも高くなく持続的に使えるので選んだとのことだ。子供たちがダムで泳ぐため住血吸虫による被害が問題になっている。また、Yuda Villageには深井戸が一つも無いので、飲み水はCFCに取りに行くしかない。

料理やシャワーにはきれいとは言いがたいダムの水を使っている。聞き取り調査の間、最初は、「無い無い」攻めで要求ばかりしてくると感じたが、他の農民と違うのは、彼なりに計画を立てていることである。計画は完全とは言えないものの、良いものであると感じた。

彼の畑を視察しに行く途中、3年前に村人の意見で、村人だけによる資金、労力で作ったという橋を見せてもらった。彼は全体で15ha以上の土地をもっており、そのうち開墾されているのが1.5haである。

3/4haをConservation Farmingに、1/2haに牛を使った普通作に、1/4haにサンヘンプを栽培していた。図3-3のように、メイズを同品種、同時期に播種したにもかかわらず、11・12月と雨が降らず、普通作のほうは播種をしなおさなければならなかったが、Conservation Farmingのほうは大丈夫であった。

2003年シーズンは図3-4のように、クロップローテーションを行なう予定。また、牛を使ったConservation Farmingを行なう予定である。
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小括

Yuda Villageの村長であるMr. Mosesは非常に精力的に物事を行い、村長である存在感を感じさせた。彼は、農業普及員の指導どおり、Conservation Farmingを行い、見事に成功させた数少ない優良農家である。

彼はContact Farmerであることからも、村の中で成功例を作るために、特に普及員が力を入れて指導しているとの住民の意見があった。目的とはしていなかったが、地域住民の嫉妬的意見を聞くことにより、村長と住民という社会的属性間の差異を確認できた調査であった。
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2-10

対象地区:Chikonkoto Village
目的:地域有力者や、政府関係者だけでなく、一農民の生活やニーズを調査する。
調査方法:インタビュー、生活表
調査結果
Mr. & Mrs. Mwapeの話によると、彼らの栽培作物は、メイズ1ha、コットン1エーカー、落花生1リマである。牛はコリドー病が流行する前は20頭いたが、今は7頭だけである。コットンはDunavant Cottonという企業に卸している。

メイズの肥料は元肥に5袋×50㎏のコンパウンドD(NPK:10-20-10)、追肥に5袋×50㎏のユリア(NPK:46-0-0)を投入する。地力が弱っているので、一般的な投入量である4袋よりも1袋多く入れたとのことであった。今年も同様に肥料を投入したいのだが、十分な資金が無い為、無理だとのことであった。

個人的には、肥料とハイブリッドの種を購入して、収量を上げたいとのことである。昨年までSheps Clubに参加して、農業の勉強会などをしていたが2年間で辞めなければならないので今はどこにも属していない。

勉強会でConservation Farmingについて勉強したが、労力が非常にかかるので試していない。周りの農家はConservation Farmingを試している人が多いようである。

2年前周辺のコーポレイティブが集まり協議を持った結果、ChikonkotoダムをChibonbo rule counselという会社に作ってもらうことに決まった。ダムのほか、薬浴槽も作ってもらう予定だったが、予算が十分に無く諦めた。

種付け用の雄牛はChikonkoto villageのMr. Shipotaが持っていて、無料で種付け牛を貸してくれる。

Mr. Mortonにも話を聞いたが、彼の話によると、AQU-AGROという会社が小規模灌漑システムの教育に最近きたとのことであった。この会社は農民に小規模灌漑システムのトレーニングを施し、農民がドナーを探してきたらそのドナーから代金を得るという方式で営業している。

10人程度のガーデニンググループを作る予定であるという。その他、近所の井戸が壊れているので直したいと言っていた。CGSSに直して貰えるのだが、破損箇所のゴムを変えるのにK300,000の資金が必要である。

また、近くにはChitibe Women Clubというクラブが、会員約20人ほどで運営されている。このクラブは、メイズや商品作物を作っており、現在は政府に養鶏場建設の申請をしている。しかし、審査に合格したがまだお金が下りてこない。

この村の会議は毎月最終土曜日にヘッドマンの家で開かれるとの事であった。村の未亡人や孤児の話題が最近のトピックである。

表3-12はこの村で筆者らが調査したときの、農民の一日の生活時間表である。この一つの表をもとに一般化するのは危険であることを承知で分析すると、家事の度合いが多い女性のほうが、労働時間が長いという結果になる。
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小括

本インタビューでも、やはりハイブリッドの種と化成肥料の需要が高いことが分かった。また、何度か女性と話をする機会もあったのだが、私が男性であるからであろうか、あまり詳しい話は聞き出せなかった。

これは、プロジェクトチームの女性調査員の調査結果と見比べると、その情報量の違いが分かる。

NGO側の行ないたいこと(この場合は薬浴槽の再利用)を意識して聞かないように心がけていたのだが、どうしてもそのプレッシャーを感じてしまい、最終的にはその話が中心となってしまった部分もある。

2-11

対象者:Chilengwalesa Youth & Women Club
目的:TICOがチペンビで活動するという噂を聞いて、活動視察要請があったため視察に行った。
調査方法:インタビュー
調査結果
Chilengwalesa Youth & Women Clubは会員数100名(近隣14村からの若者が参加)、初年度会費はK10,000である。会の収入活動によって次年度以降の会費は変化する予定。現在の銀行残高はK1,200,000で、ルサカの銀行を使用している。現段階までで、銀行口座を使っているのは、このクラブだけである。

2002年、Mr. Justin(チェア―マン)の地域への転居と同時に結成し活動を開始した。2003年5月、社会活動団体として登録認可をえた。定期会議は毎週金曜日14時からである。

具体的な活動として、マイクロクレジットの実施(Mr. Edwardに資金供与してコミュニティーバーを建設した。雇用を促進すると共に、メンバー間の憩いの場になっている)をした他、HIV予防活動、廃車部品から、鍬を作ったり(簡易鍛冶技術)、牛車、家具の製造をしたりしている。

また、食用油圧搾機を使ったサラダ油製造(ひまわりは近隣村落より購入)をしたり、搾りかすを鳥と豚の餌にしたり、豚舎の建築をしている。非常に活動範囲の広いクラブである。

将来の活動予定として、学校建設、大人の為の教育、交通手段の確保、食用油圧搾機を5台増加、ダムの建設、薬浴槽の建設、オフィスの建設、養鶏の実施、孤児の世話、共有農地への肥料の投入、以上の施設を一箇所に集めて(盗難防止のため、現在の各プロジェクトは担当メンバーの敷地内で実施している)自立した村落をつくることを挙げていた。また、TICOに小規模金融を行なうよう頼まれた。

小括

視察に来てほしいという要望があっただけに、現場へ到着したときは、クラブの活動内容が分かるように、十分に用意されていた。良い部分だけを視察させるということもあるが、これだけの活動内容を短時間で視察できるように準備していたことは、彼らの実力があることを示す一つの根拠である。また、彼らの高いモチベーションを感じることができ、筆者らも、それに喜びを感じた。
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2-12

対象者:Mr. Filimon
目的:Mr. Filomonの家へ泊まり、小規模農家の暮らしを知る。
調査方法:ホームステイ
調査結果
彼の家の敷地内には、住宅(4畳半くらい)、キッチン(柱に藁葺きの屋根だけ)があり、その他、マンゴーの木、サツマイモが植えてあった。知的障害のある伯父と一緒に暮らしている。

伯父はある程度の年齢に達するまでは普通に暮らしていたが、ある日突然母親を殴るようになった。それは、ウィッチに呪われたからだとのことだった。比較的夜遅く到着したので、少し話をした後すぐに床に着いた。

普段は、日没と同時に眠ることが多いそうである。4畳半の部屋に4人で寝たのだが、コンクリで固められた床の上にチテンゲ一枚の敷布団で、且つ隙間風が入り込み、非常に寒かった。

翌朝、起床後はきれいとは言えない水で洗面を済ませた。コーヒーを入れるカップが無く、数100m先の家まで借りに行っていた。

小括

小農の生活を知るべく、決行したホームステイだが、Mrs. Filimonが相当に筆者らに気を使ってくれた。「男尊女卑」が当然のように起こっているザンビアの典型的な生活様式を垣間見ることができた。女性に話を聞きたくても、それを男性が許さない構造ができあがっている。

筆者が女性調査員と同行することにより、彼女がMrs. Filimonから話が聞けたのが、唯一の救いであろう。また、ホームステイは夕方から朝方にかけてのものであったので、日中の彼らの生活を共にすることはできなかった。

このホームステイも、彼らにとっては、外部者が泊まるという「非日常」であることを前提に物事を観察しなければならない。それを「日常」として捉えてしまうと、外部者のバイアスの入った調査結果となってしまう恐れがある。
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Mr. Filimon宅前

第6節 小括

本章では、プロジェクト地選定及び、プロジェクト選定のための、筆者が行ってきた調査の結果を述べてきた。プロジェクト地選定のための調査では、結果的には、NGO職員の安全が確保されやすいチペンビが選ばれることになった。

「ザンビアの地図を広げて、目をつぶって指差したところが、協力の必要がある場所である」といわれるほどの状況であることは確かであろうが、PLAの理念を尊重する筆者にとって「一方的な外部者の選択」であったこの結果は、住民と外部者との関わり方を考えさせられる大きな課題となった。

プロジェクト選定のための事前調査では、様々な方法で地域住民とコンタクトを取り、調査を進めた。調査の目的と調査結果が一致しない場合もあるが、これは目的達成のために情報が限定されることを避け、目的以外の様々な情報を得るために意図的に行ったことでもある。

また、情報をより公平に、透明性を持たせるため、対象は個人、役人、学校、クラブと様々な社会的階層から集めた。事前調査の期間は、約4週間であった。住民との信頼関係を構築するにはより多くの時間が必要であるが、顔見知りになるという意味では、十分であった。

また、表3-8のように各調査員が様々な所から情報をもってきたので、チペンビに関する基本的な情報の共有はTICO職員内では十分に行なわれた。筆者の調査と他の調査員の調査をもとに、大まかな住民のニーズを表3-14にまとめた。

個人レベル(女性・男性)では孤児院の建設や化成肥料とハイブリットの種が、村長レベルではフットポンプによる灌漑農業が、役人レベルでは薬浴槽の再利用やConservation Farmingが、学校レベルでは校舎の建設や井戸の建設が、クリニックレベルではAIDS予防キャンペーンが、クラブレベルでは養鶏やガーデニングが住民のニーズとして挙げられた。

ところが、プロジェクト選定の時期になって、少しずつプロジェクトチーム内のPLAに対する考え方の違いから、ズレがおき始めた。これは、PLAに対する考え方を全員が理解しているという前提で調査が進められ、PLAの理念についてNGO職員内でコンセンサスが取れていなかったためである。参加型開発という言葉を隠れ蓑にしたため起こった悲劇である。

また、このズレの影響もあり、結果から述べると、「薬浴槽再利用プロジェクトをはじめる」という選択を我々はしてしまった。住民から得たニーズにより、プロジェクト案は「薬浴槽利用プロジェクト」の他、「ハイブリッドの種と化成肥料プロジェクト」、「AIDS予防キャンペーン」、「小規模金融プロジェクト」、「井戸修復プロジェクト」というものがあったのだが、それを住民と共有し選択することがなかった。

それでは、なぜPLAの理念のもとプロジェクトが行われなかったか、については第4章で詳しく述べることとする。
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第4章 PLAを計画段階で活かすための考察

第1節 WAHEプロジェクトにおけるプロジェクト選定時の問題点

 
本来PLAの理念のもと、活動をする場合、その主体は住民に有るべきであるが、結果的に我々WAHEプロジェクトチームが、薬浴槽再利用プロジェクトをはじめることに決めてしまった。なぜそのような事態が起ったのかは、以下の4つの理由が考えられる。

  1. 我々の中で、PLAに対する考え方が統一されていなかった。
  2. 事前調査で得られた情報を住民と共有できなかった。
  3. 我々の活動に対する実績を残さなければならないと言うプレッシャーがあった。
  4. 我々プロジェクトチームが、時間的・資金的制約を設けてしまった。
1.我々の中で、PLAに対する考え方が統一されていなかった

TICO内部で(ザンビア事務所、日本本部を含める)PLAに対する理解の違いがあった。PLAの理念を尊重するもの、なんとなくPLAの理念が良い事だと考えるもの、効率を考え参加型手法を使おうとするもの、である。

「PLAを実践して、ある程度の効果をあげるには、長期的な時間が必要である」という立場をとる筆者らの行動は、効率性をメインに置いたり、参加型という言葉を流行だからと言って使ったりしている「参加型手法を使う」立場の人間から見ると、不効率なものとして映ったのである。

これは、雇用主やNGOへの出資者から見ると、「効率の悪い、成果の上がるのが目に見えにくい『PLA主義者』に長期間人件費をかけるということは、無駄である」と言うことは、資本主義社会で育った我々には当然の事であるのかもしれない。

しかし、国際協力を志す者は、果たして効率主義、成果主義だけでよいのであろうか。それは違うと筆者は声を大にして言いたい。ドナー側の一方的な効率主義,成果主義の活動の結果、住民の意見を無視した援助がどれだけ住民を苦しめる結果となり、行なわれてきた事であろうか。効率性、成果だけを求める協力活動は、明らかに間違いである。

2.事前調査で得られた情報を住民と共有できなかった

これは、明らかに我々の落ち度である。我々の調査により、明らかにされた情報は住民と共有されるべきである。それは、集められた情報が住民にとって正しい情報か、そうでないかを、つまりチェンバースの言う、住民と我々の「リアリティ」が一致しているかどうかを、確認しなければならないからである。

またこれは、住民に対するアカウンタビリティーでもある。アカウンタビリティーは、NGOの資金提供者だけでなく、情報を提供してくれた住民にもされてしかるべきである。さらに、情報を共有する事により、プロジェクトの計画、実施が透明になり、住民とドナーの癒着や腐敗を防ぐ事になる。

この情報の共有ができなかったのは、「時間が無い」と言う理由による、我々の努力不足によるものである。

3.我々の活動に対する実績を残さなければならないと言うプレッシャーがあった

一つ目は,筆者が滞在している間に、何か形に残さなければならないと言う、給料をもらっているものとしてのある種の義務感が、我々がプロジェクトを選ぶと言うことの一因になった。これは、筆者の心の弱さにある。住民の利益よりも、自分の利益を選んでしまったのである。

二つ目は、TICOとして活動の実績を作りたかったという事が挙げられる。これまでTICOの活動は、医療を中心としたプロジェクトで、農業も包括するWAHEプロジェクトは初の試みであったので、出資者へのアカウンタビリティーの意味も含め、成功しそうな農業プロジェクトで実績を作りたかったと言う事が挙げられる。

プロジェクトの成功事例があることで、助成金の申請も有利になるという、自己資金で賄えない基礎体力の弱いNGOの現状も如実に表している。しかしながら、実績を作るということはNGOの運営面から見れば当然の戦略であるかもしれない。

4.我々プロジェクトチームが、時間的・資金的制約を設けてしまった

外部者が活動自体に何らかの制約を持たせてしまうことは、すでにPLAの住民の主体性という考えから大きく離れてしまっている。WAHEプロジェクトにおける、時間的制約と言うのも、結局は資金に限りがあるから起こる事である。

本節1で述べた、長期的な協力により、人件費を払う事ができないと言う資金面での時間の制約と、本節3でも述べたとおり、「滞在期間」という実質的な時間制限とがある。両方の要因により、結局、時間的・資金的制約を設けてしまったので、NGO側がプロジェクトを選ばざるを得なかった。

また、外部から助成金を取って活動をする事を考えると、単年度決算という問題も出てくるので、これも時間的制約を受けることになる。

PLAはコストパフォーマンスが良いと言われることもあるが、長期的な人件費を考えると一概にそうとも言い切れないことが分かる。

以上のような4つの理由により、NGO側がプロジェクトを選ぶと言う、PLAにはあるまじき行為をしてしまったのである。しかし、多くのNGOでは、当然ながら効率性を考えたインプットに対するアウトプットが存在するので、このような事例がおきているのが事実のようである。これはNGOの能力の限界なのであろうか。

第2節 PLAを計画段階で活かすための4つの提案

「参加型開発の理念を尊重するものであり、開発の影響を直接的に受ける人々が、主体的に計画、実施、評価等に関与するようになること。また、外部者は、あくまでも耳を貸すという姿勢を貫き開発の主体を住民に譲ること。」というPLAの理念に立ち返り、WAHEプロジェクトの問題点を挙げ、逆説的にPLAを計画段階で活かすために考察をしたい。

一つ目として、様々な先行文献でも述べられているように、NGO職員同士でのPLAに対する共通理解をしなければならない。参加型開発では、社会開発・人間開発といった、住民のエンパワーメントに重点に置かれている場合が多いため、早期の成果はあまり望めない。

そのため、「PLA」で活動する場合に、NGO職員内でPLAの「理念」なのか「手法」なのかを整理できていないと、前者は効率を求める必要の無い協力活動として、後者は効率を求める協力活動として、意見のすれ違いが起こり、結果受益者にも負の影響が出てしまう。

二つ目として、情報の共有をする事である。これは、チェンバースの言う「putting the first lust」という外部者の姿勢の問題である。援助をしてあげるという、傲慢な態度ではなく、ファシリテーターとしての謙虚な態度で、一方通行の関係をなくすべく努力すべきである。

この「putting the first lust」という外部者の態度を見直すことは、「putting the last first」という、住民の社会的地位向上を認めるだけのものから、大きく前進したのではなかろうか。

三つ目は、経験的に分かったことであるが、自分の出世欲などの、心の弱さを克服する事である。誰のための協力活動なのか、考えるべきである。チェンバースがいうところの「変わるのは、私たち」なのである。

そして四つ目に、PLAを行なう上で大切な事は、時間的・資金的制約を設けない、あるいはその対応案を活用することである。特に、活動資金の少ないNGOはこの点について考慮すべきである。プロジェクトありきの活動に比べ、長期的になることは目に見えている。

つまり、それに対する手間暇、すなわち人件費が発生するので、その点を考慮しなければならない。

第3節 時間的・資金的制約を考慮した対応策

それではもし、PLAの理念で、時間的・資金的制約を考慮したNGOの活動するのであれば、どのような対応策があるのか。時間的・資金的に制限をどうしても設けたい、設けなければいけないのであれば、PLAで活動はできない、いやしないほうが懸命であろう。

PLAをNGOに合わせるのではなく、NGOがPLAに合わせられるようにならなければならないのではなかろうか。NGOという枠の中でPLAの理念の基活動するということはナンセンスなのではなかろうか。それは、本章第2節に述べた理由によるからである。

さて、そうは言っても、NGOの枠の中で、PLAの理念の基活動が完全にできなくなるということでもなさそうである。では、どのような状況下でそれが可能となるのか。

考えられる一つ目は、自己資金で活動することである。ただし、自己資金の場合、出資者に、PLAの理念を理解してもらう事が大前提である。そして、活動のアカウンタビリティーが重要になってくる。

二つ目は、日本の単年度決算の方式を変えるしかないのではないかと考える。単年度で成果を出す事が前提で助成金の申請を受け入れる所が大半であるが、助成金が活動資金の中心となっている弱小NGOにとって、単年度でPLAの成果を出すという可能性は皆無に等しい。したがって、単年度決算を変えるべきだという考えであるが、この案は非常に難しいであろう。

そして、三つ目は私案であるが、専門性を身につけた学生を調査に参加させるということである。学生が調査に参加するメリットとしては、インターンとして採用する事で、人件費の削減になることが挙げられる。

また、より正確な情報が手に入りやすい、といったことも挙げられる。筆者が学生として調査したときと、NGO調査員として調査したときでは、同じ人に同じ質問をしても、住民のかえてってくる答えの内容が違ってくることが、筆者の経験上分かったことである。

住民は学生には何も期待しない。したがって、住民の真の情報が手に入るのである。NGO調査員として行った時は、より悲壮感の漂う、援助を期待した、色付けした答えが返ってくることが多いのである。

以上を、PLAを実践するうえでの、NGOの活動資金をめぐる対応策として提案したい。

総括

序章で述べたとおり、本研究は、実際に行なったプロジェクト計画の事前調査をとりまとめ、PLAでプロジェクトを計画するに当り必要であることを考察することが目的である。

そのため、第1章で、「参加型開発の理念を尊重するものであり、開発の影響を直接的に受ける人々が、主体的に計画、実施、評価等に関与するようになること。また、外部者は、あくまでも耳を貸すという姿勢を貫き開発の主体を住民に譲ること。」という、PLAの定義した。

さて、第1章で述べた意見と、実際に行なったプロジェクト選定の為の事前調査とを比べて考察をしたい。

筆者は、第1章第3節で、パラダイムシフト=ボトムアップ=弱者の味方=正義=参加型開発(佐藤 2003:p10)という一義的な考え方から離れてみる必要性があると述べたが、ボトムアップ=弱者の味方という論理が成立するか、第三章第5節2-6をみて検証してみる。

この調査は、PLAの理念にもとづき、各クラブのニーズを把握するよう行動をとった。その結果、表3-11に見られるように、各クラブとも養鶏を行ないたいという調査結果が得られた。もしも、ボトムアップが良しとされ、養鶏のプロジェクトが始まったとした場合、それは本当に参加型開発と呼べるのであろうか。

ここでは筆者が指摘したように、獣医の見えない圧力により、住民が養鶏を選んだのであれば、住民の望んでいないプロジェクトが行なわれることになり、ボトムアップ=弱者の味方ということは成立し得ないのではなかろうか。

次に、第1章第5節で、参加型開発のメリット、デメリットを挙げたが、これはどうであろう。デメリットに関して、外部者は、長期になることで人件費が多く必要であることを第4章で述べた。また、住民としては、筆者らの調査により、彼らの時間が割かれたことが挙げられるであろう。

メリットに関して、外部者は、目的指向型の型にはまった調査では得られないような、幅の広い様々な情報を収集できたことは第3章で述べた。また、住民としては、プロジェクトが外部者によって選ばれたものの、これも住民のニーズのうちの一つという捉え方をすれば、ニーズに沿ったプロジェクトであり、メリットと呼べるのかもしれない。

それでは、第1章第6節で、筆者は、「参加型開発」の中でもとりわけ「理念」を重視しているPLAこそが「参加型開発」であるとの姿勢をとる、としたが、外部者として実際はどのように住民と関与して調査を行なったかを述べる。

第3章第5節でしばしば述べたが、筆者の意見を前面に押し出さず、常に住民の声に耳を傾けるよう最大の努力をした。援助者として上からものを言うのではなく、ファシリテーターとして振舞うよう心がけた。具体的には、相手に敬意を払い、挨拶やお礼などは筆者から欠かさず行なうようにした。また、これらは筆者が若かったことも手伝い、謙虚な姿勢で望めたのではなかろうか。

さて、プロジェクト選定の為の調査により、様々な報告が上がってきたのだが、PLA理念のもとで調査活動をしたにもかかわらず、大きな問題は、プロジェクトの選定をNGO側がしたということである。

その理由として、我々の中でPLAに対する考え方が統一されていなかった、事前調査で得られた情報を住民と共有できなかった、実績を残さなければならないと言うプレッシャーがあった、我々プロジェクトチームが時間的・資金的制約を設けてしまった、という4点を挙げた。

それに対し、PLAでプロジェクトを計画するに当り必要であることとして、上記の問題点を逆説的にとらえ、PLAに対する考え方を統一する、事前調査で得られた情報を住民と共有する、自分の心の弱さを克服する、そして、時間的・資金的制約を設けない、あるいはその代替案を活用することである、と述べた。

さらに、時間的・資金的制約を設けないということに関しては、NGOという枠の中では、それを設けないことは不可能に近いので、PLAを行なうこと自体無理なのかもしれないとしたが、一方、対応策として、自己資金での活動、単年度決算の変更、専門性を身につけた学生の調査への参加も提案した。

しかしながら、それと同時に、PLAをNGOに合わせるのではなく、NGOという媒体をPLAの理念に合わせるべく変容するべきなのではないかという、意見をもった。もしくは、NGOという媒体にとらわれる必要が無いのかもしれない。

さて次に、第3章第1節で触れた、TICOの活動方針である「日本の地域に還元する」ことと「ひと作り」に対する、筆者の活動について、プロジェクトの計画立案後の活動に少し触れながら延べることとする。

2004年2月現在、WAHEプロジェクトのもとで行なわれているプロジェクトは、「薬浴槽再利用プロジェクト」の他、チペンビ地区在住の農民グループに対して、彼ら自身が考え出した小規模起業を支援するために、事業資金の貸し付け・研修指導を行なう、「チペンビ農村開発ローンプロジェクト」がある。

その他、汚い水の中に飛び込むので、住血吸虫が体内に入り込み、膀胱炎などを起こすことがあるのだが、それを防ぐため井戸を掘るという「住血吸虫症予防プロジェクト」等が挙げられる。「日本の地域に還元する」ということは、筆者が学内を始め、岩手県や千葉県の各地で、それらの発表をすることで多少は還元できているのではなかろうか。

また、「ひと作り」に関しては、薬浴槽再利用プロジェクトのきっかけであるMr. Njovuの「井戸や大きな設備を建てただけだったので今までのプロジェクトは持続性がなく、失敗に終わってしまった。
持続可能な開発を目標にした場合、例えば、牛の薬浴槽はあるので初期投資に薬を買い、その後はそのサービスを活用した農民から集金するなどして次回以降の薬を買うようにするなど、ハード面の充実だけではなく同時にそのような組織作りや考え方を農民に教えたい。以下略」(第3章第5節1参照)といったことから活動が始まっているので、「ひと作り」というコンポーネントは始めから考慮されて行なわれていた。

ところで、薬浴槽プロジェクトをNGO側が選択をするといった、PLAとしてはあるまじきことを行なってしまった、と述べたが、それに関し一つ朗報がある。最近、チペンビで常時お世話になっていた、WAHEプロジェクトのキーパーソンでもあるMr. Sambaから手紙が来た。

そこには、薬浴槽を使用している数枚の農民の写真と、このような文章があった。「おかげさまで、住民たち自らで再建設した薬浴槽は、最高の賑わいを見せているよ」と。筆者たちは、ほとんど手を出さずに、住民たちだけで薬浴槽の再利用を始めたのである。

これは、Mr. Njovuが言っていた、組織作り(TICOのいう「ひと作り」)がうまく行なわれた結果ではなかろうか。

さて、本論文では、PLAでプロジェクトを計画するに当り必要であることを考察してきた。しかしながら、それと同時に新たなる疑問点が挙がってきた。資金的・時間的枠組みを外せないNGOや他団体は、本当にPLAの理念のもと活動ができるのであろうか。

この疑問点をもとに、筆者は今後ミャンマーにて、参加型開発プロジェクトをうたっているJICAとNGOを視察しに行く予定である。この論文は、現在までの筆者の活動のとりまとめと同時に、これからのスタート地点でもあるのだ。

参考文献

佐藤寛 「参加型開発の再検討」 アジア経済研究所 2003年
プロジェクトPLA 「続・入門社会開発 ~PLA住民主体の学習と行動による開発~」
国際開発ジャーナル社 2000年
ロバート・チェンバース 穂積智夫・甲斐田万智子訳 「第三世界の農村開発―貧困の解決 私たちにできること」 明石書店 1995年
ロバート・チェンバース 野田直人・白鳥清志訳 「参加型開発と国際協力」 明石書店 2000年
野田直人 「開発フィールドワーカー」 築地書館 2000年
斉藤文彦編 「参加型開発」 日本評論社 2002年
Conservation Farming Unit 「Conservation Farming in Zambia」 ZNFU 2003年
「世界地理大百科事典 アフリカ」 朝倉書店 1998年
鈴木篤志 「ザンビア農業情報」

参考URL
http:www.eastedge.com/zambia(2016年の時点でページ削除)
http:www/nakashima.org/meteo_zmb.htm(2016年の時点でページ削除)

謝辞

本論文は筆者が2002年6月から2003年3月まで、2003年6月から同年9月までの合計1年間、2度のザンビア渡航の経験を基に書かれています。一度目の渡航は、学生として、二度目の渡航は、NGOであるTICOの調査員として活動を行ないました。

はじめに、小林聡史先輩にお礼を申し上げたいです。筆者が休学をして1年間海外で活動してみようと決めたのは、彼による影響が大きかったです。彼の背中から学ぶことも多く、精神的にも支えてくださったことに、感謝しています。

ザンビアへ行くに当り、そして、行ってからも様々な方々からのご協力があったので、この論文をまとめることができました。ザンビア行きに際し、アドバイスをいただいた豊原秀和先生。ザンビアで、農業情報を下さり、受け入れ先の学校を紹介してくださった、JICA専門家の鈴木篤志様。調査員として、共に励ましあったJudy Lee。ザンビアでのなれない生活の中、全面的に助けてくださったMr. Samba。事前調査でお世話になった、多くのチペンビ住民の方々。そして、ザンビア行きを、大きく支援してくださり、受け入れ責任者となっていただいた、アジア・アフリカ研究会OBの横井健二先輩、皆様のご協力に心から御礼申し上げます。

また、一学生であるにもかかわらず、快く調査員としてまでも受け入れてくださり、様々なご助言をいただいた、五十嵐仁様をはじめとする、TICO職員の皆様にも、この場をお借りして御礼申し上げます。

そして、最後ですが最も重要な影響を与えてくださった、杉原たまえ先生には、研究室へ入室した3年生の頃から、大変お世話になっております。

当時、全く卒論などやる気のなかった私が、ここまでやってこられたのは、杉原先生の「学生の集大成である卒論をまじめに取り組んだ人と、そうでない人には大きな差ができる。4年間の総まとめとして、そして、新たなるスタート地点として、卒論を一生懸命がんばろう。」と言った言葉に感銘を受けたからです。

卒論の仕上がりが、ぎりぎりになってしまったにもかかわらず、忍耐強く待っていただきました。また、卒論の指導だけにはとどまらず、一人間として様々なご助言をいただいたことを心より感謝いたします。本当にありがとうございました。


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高校1年生になって、ロサンゼルスへLA留学したい。でも初めての海外で危険な目に合うかもしれないから怖い。親御さんであれば、娘さんや息子さんを留学させたいけど、危ない目に合わないか心配、そんな意見をよく聞きます。

ロサンゼルスに住んで12年、ロサンゼルスのLA留学をサポートして6年になる私が、一般的にロサンゼルスと言われている範囲内で、治安が良い地域をランキングにしました。治安が良い地域に属する語学学校も一緒に載せてあります。

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管理人 青柳陽輔について

ロサンゼルスインフォ 代表取締役社長CEO 青柳陽輔(アオヤギ ヨウスケ)
1980年7月21日生まれ

7歳上の韓国系アメリカ人の妻と、2007年に産まれた娘の3人暮らしです。2005年にロサンゼルスに移住後、気づいたら10年以上になりました。

1999年4月 東京農業大学の国際食料情報学部に入学
2000年3月 ブルキナファソにて1ヶ月間のボランティア活動
2002年 大学を休学してザンビアにて1年間のボランティア活動
2004年6月 ロサンゼルスへ観光ビザで出入りしながらオーガニックファームで働く
2006年10月 ロサンゼルスにてカフェテリアの経営開始
2011年10月 ロサンゼルスインフォの代表取締役社長に就任

細かいプロフィールはこちら→http://www.los-info.com/profile03

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管理人 青柳陽輔

ロサンゼルスインフォ
代表取締役社長 青柳陽輔
1980年7月21日生まれ

学生時代はブルキナファソ、ザンビアとボランティア活動に夢中でした。
2005年に結婚を機にロサンゼルスへ移住し、カフェの経営経験をもとに、現在は留学を通して、日本人のサポートをしています。

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